日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

プレイヤーズファースト


親が子のサッカーに口を挟むことのシンプルな答え

試合に出ることを目指しておきながら言うのも変だが、プレイヤーズファーストという観点からは、親が子供にどうこう指図して、試合に出られるよう画策するのは、シンプルに考えれば良いことではないということは理解している。なぜならそれは子供が本当にしたいこと、望むこととは限らないからであるし、子供が自ら考える機会を減らすことにもなるからである。

親はどうしても子に口出ししたくなる生き物なのである

子供が口に出して、試合に出たい、活躍したいと訴えて来たならばもちろん対応すれば良い。しかし、そのようなことを口に出さなくて、試合に出られなくても淡々としている時にも親は何かサポートしたくなってしまう。口にはしなくても出たいはずだ、悔しいはずだと先回りしてしまったりもするかもしれないし、なぜ悔しがらないのかとさえ思うかもしれない。

子の気持ちは子しかわからない

試合に出られないことに対し子供がどう思っているかなんて本当のところは本人にしかわからない。うちの子の場合、試合に出たいと子供が口にしたことは一度もない。 こちらからあえて聞いていないというのもあるが、一度もないというのは逆に悔しさゆえで言えないからではないかと考えてしまう。試合に行っても元気に明るくベンチに座って声を出している。 試合に出たいというフラストレーションはないのかと思うくらいに。しかし本当のところどう思っているのかは本人にしか分からない。

それをわざわざ聞いたところで本当のことを言うとも限らないわけだし、自分の意に反して親の期待する答えを言うなんてことがあれば、それこそ教育的に良くないわけであるし。

親が子の試合出場にこだわることは自己満足ゆえのことなのか

それでも親が試合出場にこだわるのは、やはり親の自己満足のためなのだろうか。

違うと思う。サッカーは試合のために練習するものであり、練習して自分なりに成長すればそれで良いというものではないと思う。練習による成長する喜びと、試合に出て勝敗を味わう喜びは別物。だから試合に出ることもサッカーで得られる貴重な体験なのである。この体験を子供にさせるために親がこだわっても良いはずである。上手くなって自然と試合に出られるのを待たず、試合に出るための近道があればその近道に導いてあげるのは悪いこととばかりは言えないはずである。

試合に出る策略自体を子供に言う必要なはい

しかしそれが子供に伝わるのはダメだと思う。
子供にとっては上手くなるための練習をして、上手くなったので試合に出られるようになったというように進めなければならない。決して、上手くなることより試合に出るための方策を色々とったから試合に出られるようになったと子供に思われてはダメだ。

プレイヤーズファーストは、親が常に意識すべきこと

子供が試合に出るために色々画策するのが親の性だと思う。しかしそのための手段に歯止めがなくなったらおしまいだ。子供に顔向けできないことまでしてしまうようになってはそれこそ親として子供を尊重していることにならないので、親として失格になる。

その意味において常に意識すべきはプレイヤーズファーストなのである。