日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

下手な子は試合に出られなくて当然を突き詰めると


下手な子は試合に出られなくても仕方ないし、そのためにチームを去ることになっても仕方がないという考えは、考える分には勝手だけれど、その考えだと、極論すれば、最低でもナショナルトレセンに選ばれないような者は、試合なんてしなくて良いよということになるのではないかと思うのだけれど。

サッカーの上手下手は相対的なもの

ナショナルトレセンに選ばれないような下手な子は試合に出られなくて当然なわけだから。

こう言うと、下手な子は実力に合ったチームに行くべきだという反論がなされるかもしれない。

しかしそれは上手い子も同じで、いまのチームでなく、上手い子が実力に合ったチームに行くべきだと反論に対し再反論できる。

結局、上手いとか下手だとかいうのは相対的なものなのである。

親の思いは同じ

ここ数回同じようなことを繰り返し書いてきたのは、試合に出るためという思いと、試合に勝つためという思いは、自分の子に対する親の思いとして同じだよと言いたいのであって、どちらかが正しいと言いたいのではない。

内容的に強者弱者の立場が出やすい対立であることとこのブログがそもそも試合に出るためと言っていることから、偏っているように見えるかもしれないが、どちらの考えも間違っているとは思わない。極端に言えば、自分の心の中で思う分には、何を考えたって構わない。
しかし、違う考えを否定したり、押さえ込んだり、チームの方針を多数決とかで決めようとすることは、間違っているのではと言いたいだけ。

ほとんどの親において、両者の考えは、自分の子のチームでの相対的な位置で簡単に変わるはずだから。