このブログの題名は、"試合に出ることを目指す少年サッカー"であって、"試合に勝つことを目指す少年サッカー"ではない。試合に勝って嬉しいのは、試合に出ている子であって、ベンチの子ではなかなかそうはいかない。ベンチの子にとっては試合に負けた方が、ポジティブに考えても本人のためになる場合が多い。
- トーナメントに負ければ練習試合に出ることができる
- 先ずは試合に出ること
- 試合に対する考え方の違い
- 全体として大切なのは自分の子が試合に出ること
- 試合に勝ちたければJ下部に行ったら?
- 上手い下手は相対的なこと
- チームなりの目標
- 結局、自分の子が考えの中心になるのは仕方ないし当たり前のこと
トーナメントに負ければ練習試合に出ることができる
例えばトーナメントの場合、試合に負ければ、翌週は練習試合になるかもしれない。練習試合ならば、試合に出られるかもしれない。しかし、トーナメントに勝てば勝つほどベンチの子は出場チャンスは減る。貴重な小学校時代のサッカーに遠くまで行ってベンチを繰り返すくらいなら、近くのチームと練習試合で出場する方が何倍もサッカー能力向上の意義がある。試合に出ることを目指すなら、ベンチの子はトーナメントでは早く負けたほうが良いのだ。
先ずは試合に出ること
試合に出られるようになれば、試合に勝つことを目指す少年サッカーに移れば良い。しかし、試合に出られなければ始まらない。たまにベンチから客観的に試合を眺めるのなら話は別だが、いつもベンチに座っていて試合勘など付くはずもない。
試合に対する考え方の違い
試合に勝つことを目指す少年サッカーとは、考え方が違うのは、当然であり、試合に出られる子や親とは違う感情でサッカーをしている。それは、負け犬根性とかではなく、立場が違えば考え方が違うという、人間として当たり前のことなのだ。いま、試合に出られる子が、上を目指してチームを変えたり、もしくは中途で非常にうまい子がチームに入ってきて試合に出られなくなった場合に、試合に勝つことを目指すサッカーを続けられる親子はいないと思う。
全体として大切なのは自分の子が試合に出ること
自分の子のことを考えたら、少年サッカーは、試合に出られてなんぼなので、どうしたら出られるかが大切。チーツが勝つことより、試合に出ることを優先するのが悪いこととは思えない。これは極論ではあるけれど。
試合に勝ちたければJ下部に行ったら?
試合に勝つためには、下手な子は試合に出られなくとも仕方がないという考え方。別に否定しない。しかし、下手な子がいるようなチームでは、そもそも勝てないのではないか?試合に勝ちたいのであれば、地区でというか、都道府県でいちばんのチームに入れば良いのではないのだろうか。Jの下部組織になぜ入れないのだろう。試合に勝つ確率は格段に上がると思うのだけれど。
上手い下手は相対的なこと
上手い下手、強い弱いは相対的なこと。市大会とかの地区レベルの大会で、下手な子が出たためにベスト4でなくベスト16に終わったというのは、責めることなのだろうか。試合に勝つことを優先するなら、地区レベルではベスト4は当たり前どころか、優勝が当然狙えるチームに所属していなければならないはずで、なぜベスト4に潜り込めることが目標なチームに所属させるのだろうかと。試合に勝つことを目指す少年サッカーの親は、地区レベルでは優勝目指すチームに子供を入れることが最低限の話で、県大会でも優勝を目指せるチームにいなければ話にならないでしょう。なぜなら、全国大会で優勝しなければ、試合に勝つチームではない。全国大会で準優勝でも、試合に勝つチームではないはずだから。
…これ、極論に思えるでしょう。
まあ、極論なのですが。
しかし、では、どこまで勝つのであれば、試合に勝つことを目指す少年サッカーチームなのか、誰もが納得できる定義はできますか。勝つためには、上手い子だけを試合に出すのは当たり前の意味なんて、相対的なものなのです。
チームなりの目標
そのチームなりに、試合に勝つことを目指すのは当然という考え方もあると思う。その考えも認めるが、しかし地区で確実な優勝を狙えるチームでない限り、それは井の中の蛙が胸を張っているよう見られても反論できないのではないか。要は、もっと上のチームでは、自分の子は試合に出られないけど、いまのチームならフル出場可能。なのにこのチームで下手な子を試合に出して負けたら、トーナメントならそこで終了で、自分の子が次の試合に出るチャンスがなくなる。だから下手な子は試合に出られなくても仕方がない…ということじゃないのだろうか。
結局、自分の子が考えの中心になるのは仕方ないし当たり前のこと
個人的には、この考え方に矛盾を感じるのだけれどもね。サッカーの上手い下手は、相対的なのだから。矛盾は感じるが理解はできる。結局、試合に出られる子の親も出られない子の親も、考えの中心に自分の子がいるのだから。それは正しいことである。