日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

長所があるのに試合に出られない理由を探す


サッカーにおける自分の子の長所

今現在の自分の子の長所は何か考えてみる。そして何か一つでも思いつけば、次に考えるのは、その長所を活かせるポジションはどこかということだ。いまプレーしているポジションが、子供の適性に合うポジションとは限らない。コーチは、スタメンの子のポジションは頭を悩まして考えるのに、サブの子は、単にスタメンの中では交代させて構わないと思う子のポジションをあてがっているだけかもしれない。よって、あらためて自分の子の長所が活かせるポジションを検討してみると、そのチームのスター選手のポジションとなってしまうかもしれない。

そうなってしまったら残念!なんたる不幸!…と即なるかというと、そんなことはなくて、少年サッカーというスポーツには、キーパー以外は、類似の適性でもこなせるポジションが必ずあるし、万一、スター選手が怪我をした時に出るチャンスも出てくると考えると良い。まあ、怪我は他人の不幸だから、それをチャンスと言うのは不謹慎ではあるが、サッカーに怪我はつきものであり、怪我を願うとかそういう話ではなく、スター選手だろうが誰であろうが怪我をするリスクはあるので、自分の子の適性に合うポジションがスター選手のポジションだからと言って、必ず試合に出られないわけではない。

適性とポジションの単純な当てはめ

足が速いなら、8人制であれば左右のミッド、背が高いならセンターバックというように単純な当てはめができる。こんなステレオタイプな当てはめは陳腐だけれど、一方で、誰もが思いつくということは、よほどひねくれたコーチでなければコーチも最初に思いつくはずであり、これは重要なポイントとなる。

しかし、少し考えればわかるが、その長所があっても今現実にレギュラーになっていないわけなので、コーチもその長所を知った上で何か足りないと考えているはず。そして、ひょっとしたら、長所と思っていることがコーチには短所に映っていたりとかもあるかもしれない。

本人は何が足りないかわからないことがある

子供自身、何が足りないか分かっている場合もあるが、分かっていない場合もある。キックが飛ばないというような分かりやすい短所ならともかく、ポジショニングや足元のまずさは、小学生年代だと自分でははっきり短所と自覚できていないことのほうが多いかもしれない。しかし親は、感情が入ってしまってなかなかそうはいかないかもしれないが自分の子供のプレーを客観的に見ることができる。主観的になってしまいがちだけれどここは頑張って客観的に子供のプレーを見る。ポジションが重なる試合に出ている他の子のプレーについても同様に客観的に見て比較する。
そして自分の子は長所があるのに、なぜ試合に出られないのかの理由を見つけようと心がける。

本人が自分のプレーを客観視するには動画が一番

本人が自分のプレーを客観的に見るには、やはり動画に撮って家で見ることが良いと考える。親にとっても、グラウンド観戦では、自分の子しか目に入らないだろうし、感情的バイアスもかけて試合を見てしまうだろうから。ここで必要なのは、本人は自分のプレーを客観的に眺めて、長所短所を理解することであるし、親は客観的に自分の子と他の子の能力、プレーの良し悪しを冷静に見極めることである。動画に撮れば、何度も繰り返し見ることもでき、客観視には非常に良い。ただし、動画にも弱点はあって、動画を撮っているときは、なかなか試合を自分の眼で見ることはできない。たとえ一脚を使って試合を見ながら撮影している場合も、やはり見るだけに比べてその場で自分の眼で見て得る情報は少なくなる。そして、撮られた動画自体は、ズームすべきところで引いていたり、周りの関係を見るべきところでクローズアップしていてそれが分からないなど、繰り返し見ることができ、客観視できるという長所と引き換えに、失う情報もある。この辺りは、どちらを取るかは、考え方や親や本人のサッカーを理解する能力の問題になるのだろう。ただし、総じて動画で自分の子や他の子のプレーを見ることは、客観的に能力を捉え、改善すべき点を知るには良いと思う。まあ、自分がその程度のレベルだからということかもしれないが。