日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

必要なのは絶対的能力ではなくて相対的な差別化


試合に出るという意味では長所と短所は相対的なもの

試合に出るためには、単純に短所を改善すれば良いだけなのか。そうではなく、もう1つ別な長所が必要なのか、もしくは今長所と思っていることが長所として見てもらえるレベルに達していないからなのか。
これらいずれもチームの他の子もしくは同じポジションを争う子との相対的な話でしかなく、絶対的にその学年で得るべきレベルやこれが出来たら水準以上というものなど存在しない。この単純なことが、試合に出られない子の親を悩ませる。

チームで一番の子が 、もっと勝てるチームが良いからと、他のチームへ移ったら、確かにチームは勝ち続けているが自分は試合に出られなくなったというのはよくある話。まあ、ウチもそうなのだけれど。これは子供本人の長所短所を含む能力は何も変わっていない。変わったのは同じポジションを争う周りの子の能力、つまり周りの環境である。

ポジション争いとは差別化のこと

だから自分の子が試合に出るためには、同じポジションを争う子とどう差別化するかが大切となる。そしてそれには自分の子との相対的な差を客観的に把握することが重要になる。

自分の子が勝る点、劣る点、ポジションを争う子の方が勝る点、劣る点を洗い出す。そして自分の子が何をすれば差別化できるかを考え、それに向けて改善する。
……まあ、言うのは簡単なんだけれど。しかしこれをしっかりやれば、試合に出るチャンスは必ず増えるはず。

相対的な差の大小は出場チャンスに直結

とはいえやはり今時点の能力差や身体能力の差が大きすぎると、差別化で得られるチャンスにも限界があるので、自分の子なりに改善しても試合に出られないかもしれない。その場合に、試合に出ることにこだわるならチーム移籍も考える必要があるだろう。そうではなく、今のチームでの自分の子の位置が、あと少しで試合に出られるというところに来ているのならば、それはレギュラー奪取に向けて挑まないのはもったいないということになる。ということで、うちは色々やっているわけです。

相対的ということは残酷なこと

試合に出られる出られないは、テーム内の相対的な話であること、これは本当に悩ましく残酷である。「創設以来過去最高のチーム」 というのにたまたま入ってしまったサブメンバーの親は複雑な気持ちになる。他の年であれば余裕でレギュラーを取れたかもしれないのにと思うなというのが無理である。うちはそこまでではないが、そこそこ強いので、スタメン取るのはなかなか厳しい。

前を向くために横もチェックする

しかし、嘆いていても始まらない。前を向くしかない…、いや、違うチームに行くことが後ろ向きということではない、試合に出られない強いチームと、試合に出られるけれどそのチームほど強くないチームのどちらに価値があるかは、その子の価値観次第である。違うチームに行くことも前向きな選択である。うちの子は、なかなか試合に出られないが、現在は全く出られないわけでもないポジションにいるので、いまのチームで頑張ると言っている。だから当面横を見たりはしないが、試合に出るために違うチームに行くというのも良い考え方出るると思う。

ただし、周りに他のチームがない環境であると、あくまでそのチーム内の競争に限定されるから、色々と厳しい。また、これについては価値観の話であり正解はない。各家庭、というよりも、各子供が自分で決めるべきことである。親はそこには関与してはならない。