今回は、童謡「アイアイ」。歌詞は以下。
アイアイ アイアイ
おさるさんだよ
アイアイ アイアイ
南の島の
アイアイ アイアイ
しっぽのながい
アイアイ アイアイ
おさるさんだよ
さあ、この歌詞を解読しましょう。
実質情報量はチューリップより少ない。
歌詞の実質情報量
この歌詞の実体は、
アイアイ
南の島の
しっぽのながい
おさるさんだよ
―歌詞はこれだけ。しかしこれが結構分析しがいのある歌詞なのである。
言及は事実のみ
まず、この歌詞には事実の記載しかない。それだけでなく感情を呼び起こす契機となる表現も無い。
つまりチューリップにあったような「きれいだな」という感想も無ければ「咲いた咲いた」のようにその表現から花が咲いたことの喜びが伝わってくるような表現が全く無いのである。
この歌詞からは、
アイアイはかわいらしいサルだな、
とか、
ちょっと不気味なサルだな、
とか想起できない。
単にある種のサルの名前とその生息地、外見的特徴を述べているだけなのである。
しかも生息地といっても「南の島の」というだけであるし、特徴といっても「しっぽの長い」だけである。
何故、南の国と尻尾にこだわるのか
そもそもサルは、基本は温暖な場所に生息するものであり、また、しっぽが短いのもいるが長いのも何種類もいる動物である。百歩譲ってサルの中で尻尾の長い種類だとしても、それだけでアイアイを他のサルと区別することはできない。現代文解釈上はそう断言できる。
しかし、図鑑でアイアイを見たら、確かに尻尾が長かった。サルを超えて哺乳類の尻尾の長さとして考えても長い。だったら歌詞でもそのように表現してほしかった。生息地と尻尾だけで他のサルと区別できるのは、アイアイの表現とは逆の「寒冷地に住む尻尾の短い」サルではなかろうか。つまり「イエティ」と呼ばれるヒマラヤ雪男。しかしこれは実在が疑われている。まあ、ニホンザルとの対比だろう。日本の童話だからニホンザルとの比較というのは納得できる。
執拗に繰り返されるアイアイ連呼
次に、この歌詞で異様なまでに繰り返されている「アイアイ」の名称。数えてみて欲しい。
全歌詞に占める「アイアイ」の文字数は50%を超える。
異常である。名前の連呼はいいからもっと特徴を言うか、感想を書けと言いたくなりそうなものである。しかしこの歌詞の目的は、アイアイの特徴やかわいらしさを伝えたいのではないのである。この歌詞は、それほど具体性の無い特徴をあたかも特別な特徴であるかのように並べ、後は名称をひたすら連呼する歌詞なのである。
名称連呼の他事例
ここでちょっと立ち止まってみる。
それほど具体性の無い特徴をあたかも特別な特徴であるかのように並べ、後は名称をひたすら連呼することが目的……の行為は他になにがあるか。
選挙カーがあるではないか。「市民生活を守り、住みよい街づくりを目指す○山×夫、○山×夫でございます」といっているぞ。
他にも洗剤のCMがあるぞ。大抵の洗剤のCMが「白さ」「殺菌効果」を言った後、連呼こそしないが商品名を言う。
これらの目的は、言うまでも無く名前を覚えてもらうこと、である。であれば同じ文章構造を持つ「アイアイ」も同じ解釈ができる。つまりこの歌詞の目的はただ一つ、アイアイというサルの名前を覚えてもらうこと、だけである。これ(=この歌詞の目的はただ一つ、アイアイというサルの名前を覚えてもらうこと)を裏付けるもう一つの証拠は、歌詞の最初と最後に同じ句「アイアイ アイアイ おさるさんだよ」を持ってきていることである。最初と最後に同じ句をもってくるのだからそれが作詞者の最も言いたかったことである。つまり、「アイアイというのは聞きなれない名前だけどサルの一種の名前だよ」と、言いたかったのである。
実際、この歌のお陰で、日本で育った子供のほとんどが「アイアイ」と聞いてサルの名前と言えるだろう。これは童謡「アイアイ」の大きな貢献である。
ガビアルを知っているか?
この歌が無ければ日本では「アイアイ」がサルの名前であることは、これほどまでは知られなかったであろう。例えば、「ガビアル」がワニの一種の名前であると日本ではほとんど知られていないように。
ガビアル ガビアル
ワニの一種だよ
ガビアル ガビアル
インド周辺の
ガビアル ガビアル
おくちの長い
ガビアル ガビアル
ワニの一種だよ