時々のこと

子どものサッカーについて。小学校から遂に高校までたどり着きました。その他時々のこととか。

「大きな古時計」の巧みさ


この歌詞の凄いところを最初に言ってしまおう。
表面上時計の話をしているだけなのに、その意図するところは、亡くなったおじいさんをしのぶことであり、かつそれが深い読みこみが必要なわけでも無くだれにもわかると言う点です。

おじいさんの亡くなったときの年齢

たとえば、
「おじいさんは今生きているのでしょうか亡くなっているのでしょうか」
とか、

「亡くなっているというのでしたら、おじいさんは何歳で亡くなったのでしょうか」
という質問をしたとします。今回は1番の歌詞だけに基づいて答えてください。この歌詞のスゴサは1番にあり、後は説明調の歌詞で現代文解釈上は良くない。

そんなこと言ってない

この質問に、おそらく全ての人が、「亡くなっている」「100歳」と答えるでしょう。
しかし、この歌詞には、そのようなことは書いていない。100年動いて時計が止まったと言っているだけである。

この歌詞の狙い

では、この歌詞は、聞く者を巧みに誘導し、時計の寿命を人の寿命にすり換えることを意図しているのだろうか。
「良く考えれば、おじいさんが亡くなった時に丁度うまく止まる時計などないだろう。うまいことミスリードしたもんだ」と感心すべきなのだろうか。
答えは、否である。

古時計は壊れているのか?

それを示すために、まず、次の質問を考えて欲しい。
この古時計は、故障しているのだろうか。
故障しているのではないと考える。先に書いた通り、時計がそんなにうまく壊れるはずがない。 答えはこうだ。昔の時計はゼンマイ式で、一定の期間を置いて、都度ゼンマイを巻かないと止まってしまうのだ。つまり時計の主が亡くなったのでゼンマイを巻く者がいなくなったのだ。だから止まったのだ。

うまいミスリード

この歌詞はよく練られている。
うまく、おじいさんが天寿を全うしたのと、時計が動かなくなったのが同じタイミングであることを、「(時計が)今はもう動かない」という言葉だけで表して、しかも、そうそう都合良く時計が壊れるわけがないという突っ込みには、いや、時計は壊れたんじゃないよ、ゼンマイの巻き手がいなくなったから止まったといっているのだよ、と切り返すことができるようになっているのです。 素晴らしい。

蛇足の2番以降

そういう意味で2番以降はまったくの蛇足。説明調の歌詞になってしまうのは、1番でおじいさんの死をあまりにうまく暗示できたための反動なのかもしれない。