日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

人生は短い。少年期はもっと短い。だから試合に出るべき


小学生時のスポーツで試合に出ることにこだわるべきなのはなぜか。それは小学生時のサッカーは、最長で6年、実質サッカーらしいことができる年齢で見れば、せいぜい4年生からの3年間しかないから。人生100年時代にたった3年。しかも過ぎてしまったら戻れない。1年使ったから後の2年は老後に取っておくということができない。だからこだわるべきなのです。

早生まれ不利説

早生まれは不利というのは本当にあちこちで言われているし、研究もされている。

これは一例。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspeconf/55/0/55_527/_pdf/-char/ja

しかし、学校制度上、何月を新学期としたところでこの問題は起きる。

思春期到来時期の有利不利

思春期が早く来るか否かも小学生時代に試合に出られるか否かな違いがある。成長期が早く来れば他の子より体格、運動能力も相対的に勝ることは大きい。少なくとも、思春期が早く来た子は、その子の人生において小学生時代の他者との運動能力は相対的に高くなる。つまり試合に出られる可能性が高くなる。逆に思春期が遅い子はチャンスが相対的に低くなる。もちろんその子の持つ本来の能力の高低は別にある。他の子も皆成長期を終える高校時代には平均以下の足の遅い子だったとしても、思春期が早く来れば小学生時代は、普通以上の脚力を誇れるかもしれない。しかし早生まれや成長期が遅い子は、高校時代にようやく本来の自分のポテンシャルを示すことができるというだけであり、それまでは能力以下の相対評価しか得られない。これで実力主義だから試合に出さないとか言われてもということである。

思春期が早いのも良いことばかりではない

しかし、ぎゃくもなくはない今は両親の身長を見てキーパーを決めることが多くなっているが、未だに単に成長期が早く来ていてその時に背が高いというだけでキーパーをさせられている子もいる。これは単純に不幸である。成長とともにその長所がなくなるどころか、思春期が早い子は最終身長が低めになりがちということもあり、キーパーとしてやっていけなくなる。それだけでなく、ディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワードは、ポジション変更が可能であるが、キーパーから他へは中々難しい。絶対的に足回りが足りないから。両親の背が高くないのに思春期が早いのでキーパーをさせられている子を見ると可哀想になる。

サッカー以外も同じ

これはサッカーに限らない。他のスポーツでも同じ。いや、スポーツ以外についてでも同じ。同じスポーツ、趣味をするにしても、小学生時代には小学生時代にしか味わえない、得られない経験がある。

中学高校も同じ

中学時代、高校時代もこれは同じ。同じことをするにしても、それぞれの年代でしかできない、得られないことがある。よくある強豪チームで100人を超える部員というのは、多くの屍の上にスタメン、ベンチ入りメンバーが立っているわけで、選ばれた者にも選ばれなかった者にも教育影響は大きい。下積みも大切というなら1年生選手が脚光をあびることはやめるべきだし、小学生よりは現実的でも良いとは思うが、それでも実力主義を育成年代に徹底する意味も考えるべき。

運も実力のうち…で済ませてよいのかなぁ

早生まれや成長期が早く来るというのは、その子にとっては運である。自分で選ぶことはできない。最終的な能力というのもある程度は遺伝的要素が強いのでその子にとっては運ではある。だから運も実力のうちと済ませてよいのかなぁと思う。