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これぞお役所:台風避難所受け入れ拒否再発防止策


きっと頭の良い人が作文したのでしょう。しかし、小細工が見えてしまう点が、まだまだ作文力が足りない。

記事

区が言ったこと

この記事において区の発言は次の2箇所。

1つめは対応についての回答。

台東区では「路上生活者に対し、硬直的な判断をしてしまった。避難計画を改めて策定していきたい」としています。

2つめは謝罪と対応の繰り返し。

台東区は「現場の判断で区民以外の人も受け入れたが、路上生活者に対しては硬直的な判断をしてしまい、申し訳なく思います。今後は、路上生活者も含めた避難計画を改めて策定していきたい」と話しています。

作文力がかいま見られる点

発言者が不明

まず一番大きなポイントは、この発言をした者が誰か全く分からないこと。

1つめの文では、

台東区では(略)としています

となっており、2つめの文では、

台東区は(略)と話しています。

となっています。いや、"台東区"は人ではないから行動しないし話もしないから。これ、記者の捏造を疑われても仕方がないほどに出所不明。このあたり、台東区担当者の責任回避的な思考によるものなのでしょう。しかしそんなことをするから怪しさが溢れ出てくる。

「硬直的な判断」というごまかし

「現場の判断で区民以外の人も受け入れたが、路上生活者に対しては硬直的な判断をしてしまい」というのもなかなかな文である。硬直的というのは、柔軟的の対となる言葉なので、普通は杓子定規にルールを適用するといった意味で使われるが、区民以外の人も旅行者も受け入れるが、路上生活者は受け入れないというのは、思い切り柔軟に判断している。もちろん異常事態なので、現場の判断は大切であるが、「硬直的な判断をしてしまい」というのは明らかに間違い。ただし、この作文担当者もそこは分かっていて、だからこそ「路上生活者に対しては」という言葉を付けている。つまり、区民以外の人や旅行者に対しては柔軟に対応したが、路上生活者に対してのみ柔軟に対応しなかったと。

作文力が足りない点

結局、路上生活者だから差別したと言っている

区の作文担当者が最も誤ったのは、次の文。

「路上生活者に対しては硬直的な判断をしてしまい」

これは本質的にかなりまずい。要は、路上生活者には、他の人に対してしたような柔軟な対応を取らなかったと言っている。そうなると次は「では、なぜ路上生活者にたいしては柔軟な対応を取らなかったのか」という質問が普通は出る(この記事を取材した人はそうではなかったようだが)。こうなると、区の作文担当者は困るのではないだろうか。つまり、「路上生活者に対しては硬直的な判断をしてしまい」ではなく、「路上生活者だから硬直的な判断をしてしまい」となってしまうから。少なくとも記事に書かれた区の言い分からはそれしか読み取れない。これ、差別発言ととられてもおかしくない区としては不適切な言い分だと考えられる。

対応したくない感が出過ぎている

区としては、緊急時の担当者判断が間違っていただけの話で、自分たちの責任は重くないと考えているのが丸わかりの、対応したくないオーラ全開の回答をしているのが、作文力の甘さを感じる。

路上生活者に対し、硬直的な判断をしてしまった。避難計画を改めて策定していきたい

なんて言っている。
いや、再発可能性の高い緊急時の判断ミスのみだったらそれで良いが、これは区の職員の差別意識の問題であり、緊急時に限らない可能性が高い。そこを言及せず、避難計画を改めるだけでは、対症療法なので何も解決しない。まあこの点は、作文力がある程度はあるので、区が差別したということを書きたくないという意図の表れであるが、その考えが溢れてしまっていて逆効果である。

「台東区は」の意味

これ、発言者を誰だか分からないようにするための細工であることは上に書いたが、実際はそうではなく「台東区長は」という意味になることを発言者もしくは記者は分かっているのだろうか。「区」としての回答をしているということは、区長の責任となるのだから。まあ、誰かが区長をはめようとしているのかもね。

物足りない追求

「台東区」(=台東区長)は、たった3つの文だけで、穴だらけかつツッコミどころ満載の回答をしている。もっと喋らせればさらに色々なことが明らかになったであろうに。これを取材した記者は、核心をつく2つ手前で「台東区」からの説明を止めてしまっており、追求の余地を残しまくっている点が物足りない。実態は、多くの発言を引き出していたが、記事に書けないほど酷くて、記者が自制したのかもしれない。