日本語と少年サッカー

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組体操全面禁止記事における神戸市教委のご飯論法(?)


これは…ご飯論法なのか?それとも記者の構成力によるご飯論法風な何かなのか?
後者っぽいな。

記事

記事の構成

①神戸市教育委員会は来年度から市立小中学校の運動会で組み体操を禁止すると発表した

②市立小中で過去多くの事故があった事態を重く見た久元喜造市長は今年7月以降、ツイッターや文書で市教委に中止を要請していた

③市教委は、市立高校では以前から実施していないとしている

アバンギャルドなご飯論法

②は、①の発表に至るまでの過程の1つとして書かれており、違和感のない構成である。しかし、③は、なぜそこでそれを言うという唐突感がある。確かに事故多発しているのは市立小中学校であるし、禁止するのも小中学校が対象である。ではなぜ市教委の対象とする高校は入っていないのかと言う疑問に対する回答として③はあるのかもしれないが、文章の流れとしては、この③に市教委のコメントを入れるならば、市教委が市長から中止を要請されていたことと、中止を決定したことに対してのコメントを入れるべきである。それをせず、高校が入っていないのは、そもそも市立高校では以前からやっていないから入れていないんだよという内容を持ってくるアバンギャルドさ。これはもはやご飯論法の枠には収まらない表現手法である。

結論

市教委は悪くない!

組体操全面禁止の是非

ご飯論法から離れ、そもそも組体操の全面禁止はすべきものだったのか。危険な技をしなければ組体操自体を禁止する必要はないのではないか。要は、運動会の華として驚くようなことをしたい、目立つことをしたいという欲が出るから限界に挑むことになり、怪我につながるわけで、難度が高くない組体操の技は実施すれば良いはずである。それを全面禁止にするということは、組体操というものの本質は、限界に挑戦し、他の学年の児童生徒、見にきた家族等の観客をびっくりさせるところにあるからなのだろう。見せ方次第で大技使わなくとも感動的な組体操の構成は可能であると思うが…組体操にアクロバティックな技を求める人たちには、それは組体操に映らないのだろう。