おめでたい結婚報告に対し、あとは仕事だなと言われているわけで、何で殺生与奪権を持つ監督にこんなイロモノ扱いされねばならないのかと。「斎藤佑樹」という一生の仕事は大変である。
記事
プロ野球選手に「あとは野球」と言う意味
監督が自チームのプロ野球選手に「あとは野球」と言う意味は何なのだろう。この言葉の持つ意味を、栗山監督自身が理解できていないから、こんな言葉を口にしてしまったのだろう。しかし、この言葉は、栗山監督自身が、斎藤選手をプロ野球選手として見ていないことを意味している。
監督として絶対言ってはいけない言葉
生殺与奪権を持つ監督がこのような、笑い者にするトーンも含む言葉を言ったということは、もう、斎藤選手に野球を期待していないということだろう。さすがにちょっと酷い。
見返して…などとも違う感想
こんな監督を見返して…というような安易な励ましも、昨年一昨年の成績を考えて無意味だろう。
斎藤選手は「斎藤選手」という人生を生きている
斎藤選手は斎藤選手にしかない人生を歩んでいる。一般人はもとより、普通のプロ野球選手とも違う人生を歩んでいる。
栗山監督の記事の半分以上は斎藤選手の話
名選手の揃う日ハムではあるが、記事の半分は斎藤選手のこと。しかも、この日は、栗山監督が、天満宮で毎年恒例の必勝祈願を行ったことに対する記事であるにも関わらず、記事の見出しも、最初の話題も斎藤選手のことである。もうこれが斎藤選手の価値である。
栗山監督の心情
栗山監督の気持ちも分からないわけではない。この取材は、本来、栗山監督が来シーズンに向けた抱負を語る機会であったはずだ。記事の二段落目だが、「この日は北海道・栗山町にある栗山天満宮で毎年恒例の必勝祈願を行った。」とある。つまり、斎藤投手の結婚話がなければ、栗山監督が主役で全てまとまった記事となったはずである。それがそうなっていない。理由は、栗山監督にとって悪いタイミングでの斎藤投手の結婚発表である。もちろん斎藤選手は意図的にしたわけではない。しかし栗山監督にとっては、自分中心の記事が、記事のタイトルも本文の最初の半分も斎藤選手に奪われ、実質的に自分が脇役になることは、取材中にも予想がついたことだろう。多少の嫌味も言いたくなる気持ちは分からぬでもない。
栗山監督は何と言うべきだったか
とはいえ、おめでたい話題の時には、大人としては、おめでたいことのみ言うべきである。栗山監督は、野球のことを言いたいのならば、「来シーズンは奥様のサポートも受けて、活躍することを期待しています」程度で良かった。結婚の話題にキャッチーなフレーズも嫌味も要らない。