2020年2月4日のGoogleロゴ。南アフリカにおけるエイズ母子感染の現状と治療支援を第13回国際エイズ会議(2000年南アフリカダーバン)で訴えた11歳の少年。それがンコシ・ジョンソン(Nkosi Johnson)。彼の誕生日が、1989年2月4日なのである。彼のスピーチで世の中が動いた。しかし、翌年12歳で亡くなる。南アフリカといえば人種差別があった国。既にアパルトヘイト政策は終わっているが、彼が眠る地の墓碑銘の最後は、次のような文である。
"MY LOVE NIGGI"(私の愛する黒人)
エイズに苦しめられ、更に死後も墓碑銘で黒人であることを強調される。そのような環境で、立派なスピーチをしたンコシ・ジョンソンは、真に偉大な人物である。