アカデミー賞メーキャップ賞を元日本人が受賞した。しかし彼は、受賞の会見で、日本を捨てたから受賞できたという趣旨のことをコメントしている。これ、控えめに言っているが、若者への日本脱出メッセージと取れる。
記事
日本文化に辛辣な言葉を書いた朝日新聞
良い話風に仕上げた日経新聞
腕一本で生きる世界の人の言葉
カズ・ヒロ氏は、その腕から繰り出す才能1つが勝負の世界で生きている人。その世界では、日本出身とかそういう後天的属性は関係ない。持って生まれた先天的なものは影響を受けるだろうが、それは日本文化とは関係ない。そんな中で「日本について問われ」ても、困るだろう。しかも彼は二度目の受賞である。一度目は、リップサービスしても、それでうんざりして国籍放棄に繋がったのだから、二度はない。「文化が嫌になってしまった」と今回は辛辣な回答である。これを質問した記者は、ある意味ナイスであるが、日本の深い問題が改めて提示された形だ。
日本文化に対する全否定に近い否定
こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って、米国人になった。(日本の)文化が嫌になってしまい、夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい
日本の経験が受賞に生きたかを問われたことに対する答えなのだから、これは日本文化に対する全否定に近い。日本の経験が生きたも何も、日本国籍を離れ、名前まで変えているのだから。
記者が聞きたかったものは何だったのか
記者は、日本がカズ・ヒロ氏に与えた影響を引き出したかったのだろう。メーキャップという、芸術センスが問われる世界で、優れた伝統文化を持つ日本の与えた影響を語って欲しかったのであろう。しかしそれは1度目の受賞時だけで十分だ。ずっとハリウッド相手に戦っているのに二度目もまた同じかよと考えるのはおかしくない。
成果を個人から奪い組織に還元する考え
この質問をした人には、言外に腕一本で個人として戦っている人の成果を国に還元する発想が根底にある。日本の文化に親しんだから、アカデミー賞を受賞できたのでしょう?と。日本文化を持ち上げるために個人の成果が使われるのが「日本の文化」であることを、1度目の受賞時に知ったカズ・ヒロ氏に、再度この質問をする記者は、愚かなのか賢いのか。カズ・ヒロ氏から日本文化が嫌になってしまったという答えを引き出している。カズ・ヒロ氏は、アメリカの特殊メイクの素晴らしさに憧れ渡米し、その道で成功した人であるから、日本文化へのリスペクトという意識は低いのだろう。日本じゃダメだということだから。
どれだけ日本が嫌になったのか
それが分かるのは、やはり日本国籍を捨てたこと。しかも、日本名「辻一弘」まで捨てて「カズ・ヒロ」と名乗っている。ここまでするのかとは思うが、これは2019年の話であり、本人も熟慮の上のことであったはず。そんな中で質問をする記者の土足で上がる感。
アカデミー違いだが
アカデミー賞は、映画という文化の分野の話だが、アカデミー(学術界)でも、同じことが言え、最近は多くの日本の学者がノーベル賞を受賞するが、その多くが海外で研究活動をして成果を上げており、皆が口を揃えて、日本の学術界の危機を叫んでいる。彼らはまだ日本人なので、日本を良くするための言葉を語ってくれている。これが、諦めになれば、カズ・ヒロ氏のように、日本を捨てるのであろう。カズ・ヒロ氏は、本当に日本を見限ったのだろう。