時々のこと

子どものサッカーについて。小学校から遂に高校までたどり着きました。その他時々のこととか。

さらりと命より仕事と言う朝日新聞編集委員


タイトルである「さらりと休校要請した首相 女を、子育てをナメている」というのは、キャッチーさ至上主義としても酷い。この人の記事は大体こんな感じで、全国紙とは思えないタイトルなのだが、これは首相を支持するしない、子育ての重要性を知ってある知らないに関わらず、嫌悪感しか生まない。この人の方が、しゅより女と子育てをナメているのだろうなぁとしか思えない。

記事

女を、子育てをナメていると言う根拠

突然の休校要請で、子育てと仕事を両立している母親が、急な対応ができず困るからと言うのであるが、ではどうすれば良いのだろう。確かに、休校要請から1ヶ月経っても、子供にはほぼ何も影響が出ていない。休校に意味があったのか。休校がなければ、子育て世代は、ここ1ヶ月間仕事に集中できた、子供たちも学校や保育所、幼稚園等で先生や友達との絆を深められた。それが突然の休校要請で得られなかった。今振り返れば、それはそうだろう。

この編集委員は何を望んでいるのか

望むのは、女性が安心して働けることを考えろ、急に休校とか言うなということである。自民政権が、自由主義的自己責任論に傾いているので、それに対する反対意見としては、一般論としては正しいと言える。しかし、新型コロナウイルスでこれを高らかに叫ぶのはどうだろうか。確かに、これに乗じて法改正まで行くのは問題と言えそうだが、望んでいることがそこなのかと言わざるを得ない。

この編集委員の秤に乗っているもの

休校要請について、この人が考える際に考慮対象となっているのは、お金と子供の世話だけである。休校要請なんて急に出されたら、仕事を休むか自分の子供を家に置いておくことになる。これがこの人の考える起き得る事態。そしてその事態から発展して、仕事を休むならお金が得られない、仕事を選ぶなら、誰が自分の子供の世話をするのかが最大の関心事なのである。話の最初に東日本大震災の話を持ってきながらこう話が展開するのは分からない。

他に乗せるべきもの

若者は発症しないがその代わりスーパースプレッダーになり得ることや、教室という閉鎖環境が形成されないこと等、未知のウイルスに対する恐怖がこの編集委員からは全く感じられない。この人の反応は、平時に、「明日から2週間学生のみを祝日とする」と言われた時のリアクションである。この人の秤に全く乗っていないのは、命である。自分と自分の子供がこのウイルスに感染し、死亡するリスク。これを全く考慮していないことである。

現在は平時ではない

新型コロナウイルスにより多くの人命が失われているのである。幸いにして日本では死者が多くないというだけで、亡くなっている方はいるのである。他国に目を向ければ、民主主義として日本よりはるかに進んだ国々が、同様以上の対応を取っている中、休校要請を「女を、子育てをナメている」という文脈でしか捉えられないのは、編集委員としてバランス感覚に欠けるとしか言えない。

女を、子育てをナメている朝日新聞編集委員

結局、女を、子育てを安倍首相以上にナメているのは、高橋純子編集委員である。世界的なパンデミックにおいて、この人の頭の中は、子供の命より先にお金なのである。お金は重要であるし、突然の休校要請も多々問題があることは理解できる。しかし、それを女と子育てをナメているという切り口で語るのは全くおかしな話である。この人の切り口に、人が死に、医療崩壊が起きる危険が迫っていることが全く入っていないのは、論として致命的である。

この記事を出したタイミング

更にこの人の酷い点は、この記事を3月25日に出したことである。これは学校再開指針を出した翌日なのだが、このタイミングなのは何故なのか。出すなら休校要請がなされた2月29日直後がベストなはずである。何故なら突然言われて困っているその時だから記事のタイムリー性からはベストである。しかしなぜか再開の話が出てから記事にしている。今言われてももう遅いよと言う人もいよう。しかしこのタイミングは当然で、学校再開指針を出す前に国内で明確なパンデミックが起きたら、やはり休校にして良かった、学校を続けていたら大変なことになったと休校要請は良かったと世間で評価される可能性がある。そうなった場合に、2月29日直後にこの記事を出していたら、この編集委員は大恥をかく。しかし、学校再開指針が出たということから、なら要らなかったんじゃないか、休校にして何か良いことはあったのかと、この人は結果論で批判をしているのである。

全国紙として政府批判は期待される

政府批判は、全国紙なのであるから当然期待されるものである。しかし、こんな記事を期待しているわけではない。健全な政府批判を妨げるだけである。他の記事も見ると、わざとやっている様にしか見えない。それなら最悪である。

検証と後付け攻撃は異なる

また、タイムリー性も大切だが、検証も大切である。故に、事後に批判することが悪いことではない。しかし、今回のこの人の記事は、検証になっていない。単なる後出しで批判しているだけである。全く論理的でない批判がなぜできるのか不思議なくらいである。