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バンクシーの考えた奴隷商人像問題解決策


奴隷商人像の強制撤去問題に対して、バンクシーが解決策?を提案している。相変わらずの皮肉屋である。

バンクシーの投稿

解釈すべき課題

アフリカからアメリカを結ぶ17世紀の奴隷商人の1人であるエドワード・コルストンの像が英国ブリストルの街の真ん中に1895年に建てられた。これが125年後にアメリカの「Black Lives Matter」運動の流れで、抗議運動をするものたちにより台座から引きずり降ろされ港に投げ入れられた。これにより生じた空白の台座をどうするかという問題が、バンクシーにより勝手に定義された。ここには、コルストンの像を惜しむ者があることが前提となっている。

バンクシーの解決策

以下にバンクシーのインスタグラムに上げたコメントの和訳(私の訳)を置く。

ブリストルの街の真ん中にある空の台座をどうすべきでしょうか?
コルストン像を惜しむ人と反対する人の両方に対応するアイデアを次に示します。
私たちは彼を水から引きずり出し、台座に戻し、ケーブルを首に結び、抗議者の等身大のブロンズ像を彼を引きずる形に設置します。そうすれば、みんな幸せ。有名な日が記念される。

バンクシーの解決策の意味

バンクシーは、像を惜しむ者の存在を前提としている。確かに125年前からあった像であれば、一応の文化遺産的な意義があるし、この街で生まれ育った者にとっては、生まれてからこのかたここにコルストン像があったのであり、コルストン自身の行なったことはともかく、自身とブリストルの街との関係の文脈で、街の象徴としてこの像に愛着を持つ者はいるはずである。だからこそ、空となった台座をどうするかと言いつつ、コルストン像を戻すことを前提としている。そのための理屈付けとしてバンクシーが提示するのが、抗議者の像も一緒に作ってしまい引き摺り下ろすシーンとして元に戻すという方法である。まあ、バンクシーらしいというか。ちょっと過激で、ちょっとズレた道を見つけている。

絶妙なバランス

ただしこのいわば折衷案は、絶妙なバランスの上に成り立っている。
まず、基本的に抗議者は、コルストン像を元通りに台座に戻すことは認めない。この像は、コルストンが偉大な人物であると記念したものであるから、元に戻したら再度彼が少なくともブリストルの街では偉大な人物であると認めることになる。それでは引き摺り下ろした意味がなくなる。よって像を台座に戻すにあたり、

偉大な人物を記念するという文脈を消す必要がある。このため、抗議者の像を追加することで、コルストン像は元の台座に戻り、しかも全体として見れば、コルストンを記念するものではなく、コルストンが象徴する奴隷制度の否定を表すものという文脈が生まれるのである。まあ、詭弁だけれど、一応、コルストン像を台座に戻すニーズは待たせる。一方、像を元に戻してほしいと考える側は、元に戻すことが最善であり、首にワイヤーを掛けたり、抗議者の像を付加することは望まないはずである。しかし、ではあなたは奴隷制度を認めるということかという問いがなされたら、肯定できない。よって像を元に戻すことを望む側は、ワイヤーや抗議者の像という、彼らにとっては邪魔な追加物を拒否することは難しい。
バンクシーの案は、コルストン像に反対する者も許容する者も少し妥協し、しかもその妥協に言い訳を与える絶妙な者であると言える。

現実味

このバンクシーのアイデア、ブリストル出身のバンクシーの発案という付加価値を以ってしても、実現性は低いだろう。バンクシーが直接手を下すのならばもしやとは思うが、それでもこれを実際に行うのは悪趣味であり、アートを感じられない人が多いだろう。そもそも、奴隷商人の像だから否定すべきという人と、奴隷商人ということは念頭に置かず愛着を感じる人との葛藤が存在するという問題を出発点としている。故にのれは、現実味などから離れた芸術的観点からの皮肉と解釈するのが、やはり妥当である。