日本統治時代の朝鮮の詩人。日韓併合は、8歳の時であり、多感な時期と32歳で自殺するまで日本統治の元で生きていた。
学びの断念とそこで得たもの
1923年、20歳で日本に渡り東京商科大学で学ぼうと試みるも、同年に発生した関東大震災により帰国。震災時の朝鮮の人々への暴行などの話が伝わることから、複雑な気持ちを抱いた帰国であったろう。そもそも、金の父親は、日本人に暴行を受け精神の病を患ったため、祖父の元で育ったという経緯もあり、統治する側である日本、および日本人に対して思うところはあったであろう。帰国の2年後、1925年、詩集『つつじの花』を出版するも、その後は詩作に見るべきものがなく、さらにその9年後、経済的困窮もあり、服毒自殺。
時代に翻弄された中の光
時代に翻弄されたといえば、まとまってしまうが、そうだからこそ、優れた詩作が生まれたということもできる。どちらも金 素月に対しては、安易な表現であるが、才能と、学ぶ意欲がありながら、運命に翻弄された多くの人の中では、少なくとも一瞬の大きな輝きがあったことは事実なので、最後が不幸であっても光はあったといえる。