時々のこと

時々気になることと少年サッカーについて

何かが変な山辺高校サッカー部飲酒生徒の全国大会出場


第99回全国高校サッカー選手権に出場する県立山辺高校の部員10人の飲酒問題。県教育委員会と学校は、山辺高校の全国大会出場と、飲酒生徒の8人を出場させることを発表した。反省したのならば、全国大会に出場することは構わない。未成年飲酒は、本人にとっては自傷的行為であり、他者に迷惑をかけるものでないから、暴力問題とは異なる扱いとすることも理解できる。しかし、学校の対応は明らかにおかしい。

反省は内心のことなので、十分か否かなど他者は絶対分からない

10人には11~17日、反省文の提出や個人面談などの特別指導を実施。8人については指導を終え、通常の学校生活に戻して大会にも出場させる判断をした。一方、2人については反省が不十分だとして指導を継続し、大会には出場させない。

奈良・山辺高サッカー部飲酒 2人出場させず 8人は全国大会へ - 毎日新聞

反省が不十分…これ、大丈夫なのだろうか。人の感情は単純ではない。特に高校生は既に大人並み、いやそれ以上に感受性が高いと思われる。それなのに、犯した罪の内容ではなく、反省が十分か否かで出場させるか否かを決めるとは恐ろしいことではないのだろうか。学校は、面従腹背という言葉を知らないのだろうか。例えば、出場させない2選手は、そもそも飲酒していなくとも出場できない選手だったとかであれば、反省するモチベーションが湧かないし、逆にスタメン生徒であれば、猛烈に反省した文を書くだろう。反省文に現れる反省の強弱が、モチベーションの多寡に影響されうることを学校は理解した上で、反省が不十分と言っているのだろうか。生徒を評価しているつもりだろうが、高校側の指導力の問題であることを学校は理解しているのだろうか。

2人は、反省文の内容や分量が他の生徒と比べて不十分で反省が見られなかったということで、吉岡校長は、「2人については、引き続き本人の状況を見ていきたい」と話していました。

山辺高サッカー部2人出場させず|NHK 関西のニュース

これ、本当に怖い。反省文の量も反省の十分性の評価対象なのか。反省の内容というのも怖い。国語のテストかな?どのような内容であれば反省したことになるのだろう。未成年飲酒の問題は、未成年の心身の成長を妨げるからである。反省するのは自傷行為をしてしまったことに対してのみであるはず。故に、自分を大切にしたいという以外に反省のしようがない。ここに、飲酒問題を起こしてしまい、他の部活のメンバーに迷惑をかけたとかそんなのは、連帯責任的な発想であり、そこを反省すべきではない。それは連帯責任を問う側が反省すべき問題であって、問題行動を起こした側が反省すべき問題ではない。学校が、飲酒問題を起こした生徒は出場させないが大会には出場するとだけ言えば、まだ正当性がある。それをせず、飲酒した生徒を出場させたいからゴタゴタしている。学校としては、飲酒問題を起こした生徒の中で試合に出て欲しい選手がいるからこんなことしているのだろうし。

未成年者飲酒禁止法

「未成年者飲酒禁止法」というものがあって、そこには次のように書かれている。

未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者若ハ親権者ニ代リテ之ヲ監督スル者未成年者ノ飲酒ヲ知リタルトキハ之ヲ制止スヘシ

つまり、未成年者の飲酒を知ったら、親か親に変わる者が止めろと。そして止めなかった親か親に変わる者は、科料に処すとしている。飲酒した未成年者本人には罰則は定められていない。つまり、今回のケースでは、寮もしくは学校の問題でもあるのである。

校長の反省は十分なのか?

 山辺高校のサッカー部や寮は、民間のサッカースクールが運営していて、「寮内のことは寮内で解決する」という旨の合意書が交わされていたことから、学校は飲酒について事実確認を怠っていたという。
山辺高校の吉岡敏之校長「寮の中で、いわゆる家庭の中で行われていること、家の中で起こっていることについては、踏み込めないような認識を持っていましたので、私の認識の甘さだったと思います」

山辺高校サッカー部飲酒 学校が調査せず|読売テレビニュース

 校長は、「私の認識の甘さだったと思います」と言うならば、何か反省はしたのだろうか。そしてその反省が十分であることを客観的に示すことが出来るのだろうか。「寮内のことは寮内で解決する」という旨の合意書があるから、学校は、運営者から報告があったとしながら、それが良くなかったというならば、反省文を書かせた10人の生徒の手前、何らかの反省を示すべきである。そもそも未成年者の飲酒禁止は、「未成年者飲酒禁止法」で定められたものである。この法に学校も触れる可能性があるのであるから、そもそも大会出場や10人の生徒のうち2人は出場させないと言った決定を下す立場にないのではないか。

上と同じ読売テレビニュースでは、次のようにも書いてある。

情報提供の男性「率先して隠そうとした大人が、私は一番悪いんじゃないかなと。子どもたちですから、大人がそういうことをするんだというふうに見て、育っていくわけですよね」

まさにこれである。校長は、生徒の反省が十分か否かを評価している場合ではなく、学校の全生徒とその保護者に、自分が十分反省していることを示さなければならない。それをせずに、飲酒生徒の反省が十分か否かで扱いを差別することはあってはならない。校長は自ら「私の認識の甘さだったと思います」と言っているのだから。しかしこの発言、「、私の認識の甘さだったと反省しています」ではない点が狡猾である。思うだけなのである。飲酒生徒には、客観的な反省の十分性を求めながら、自分は思うだけ。なんというダブルスタンダード。

校長もダメだが教育長もダメ

吉田教育長は出場に関して、「(当該部員は)『許されるならば出て行く』という回答をしている。そこは自分で乗り越える必要性はあるんじゃないか」と当該部員の気持ちを尊重した上での判断と主張。飲酒したにも関わらず出場した前例を作ることになってもいいのかという報道陣の質問に対しては、飲酒した部員よりも、見つけられなかった指導者側の責任とし「『酒を飲んだけど出られるんだよ』というケースとは違うと思う」と説明した。

飲酒部員8人が出場の山辺「指導者側の責任」教育長 - サッカー : 日刊スポーツ

え?「『酒を飲んだけど出られるんだよ』というケースとは違うと思う」って…酒を飲んだけど出られるよね?指導側の責任なら、指導側に責任を取らせるべきだけれど、それについては何も言ってない。?

人間の反省の十分性を他者が評価するなどおこがましいことだと教育者が気づかない愚かさ

これに尽きる。反省の十分性など、他者が評価できるわけがないことを、教育者が知らないふりをするのは止めるべきではないだろうか。そもそも「未成年者飲酒禁止法」の観点からは、生徒に反省文を書かせ十分か否かを評価している学校側にも問題がある可能性があり、それについて生徒に求めるものと同じレベルで反省しているのかということが問われるべきであるのではないか。

このチーム、何で全国高校サッカー選手権大会に出場できるの?

このチーム、部活じゃなくてクラブチームだと思うのだが。

「寮内のことは寮内で解決する」という旨の合意書は、学校の責任放棄の面もあるが、運営側が学校に口を挟ませないという面もある。

現に次のような弊害が出ている。

7月3日に吉岡校長から退任を要請された興津大三元監督の、部員に対するパワハラ問題も解決していない。吉田教育長は「教育委員会も入って、アカデミーで起こっていることが教員に相談できるような体制作りをしていきたい」と話した。

飲酒部員8人が出場の山辺「指導者側の責任」教育長 - サッカー : 日刊スポーツ

学校側が当事者能力を持っていないと書いてある。これが部活チームとして全国高校サッカー選手権大会に出場できるのはおかしいのではないだろうか。

結局、反省ではなく起こしたことに対して責任を取ることが必要

反省が十分か否かなど問題にしてはならないのである。これを、学校も教育委員会もすり替えて語っている。未成年飲酒に対して、どう責任を取らせるかの中に、反省が十分か否かは関係ないのである。

大会に出場すれば選手の名前が報道される

これについて学校は考えているのかな。全国高校サッカー選手権大会に出るとなれば、生徒の名前があちこちに出る。飲酒していない生徒もいたようだが、2年生は全て疑われる。飲酒の反省文書いて出場している生徒だと。これ、大丈夫なのだろうか?ネットに残るのだけれど。不幸中の幸いは、2年生以外の選手は、無実を証明されていること。