日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

佐々木朗希選手の価値に関する世代対立


張本勲氏とダルビッシュ有氏の主張を見ると、個人の根性論と合理性の違い、個人の人生観の違いのような論調が多いけれど、それよりも、チャレンジできる時代かそうでないかの違いが大きいと考える。

張本氏の時代

張本氏は1940年生まれ。1959年に東映フライヤーズ入り。日本は1954年から高度経済成長期に入っており、張本氏の入団は、その真っ只中にある。つまり、仮に高校時代に野球で燃え尽きても、その後の人生において、安定した生活を送れたのである。特に燃え尽きなくとも、プロ野球選手になれなかった張本氏の同級生等も安定した生活ができていたのを見ているであろう。

ダルビッシュ氏の時代

ダルビッシュ氏は1986年生まれ。2005年に北海道日本ハムファイターズ入り。日本は1991年からバブルが崩壊し、その後失われた10年、20年と呼ばれるように経済は低迷している。特に若年層の労働収入の低迷が問題になっている。このような時代にダルビッシュ氏はプロ野球入りしている。この場合、プロ野球で活躍できる逸材が、燃え尽きた場合とそうでない場合の違いは、ダルビッシュ氏の同級生の経済状況を見れば容易に想像できる。安定した生活を送るには辛い時代に、安定どころか成功者になれる才能を持っていながら、高校時代のたった3年の間に、それも根性を見せて頑張った結果で未来を台無しにするなど考えられないのである。

二人の考えの比較

結局、佐々木選手の夏の高校野球予選における登板回避の是非は、張本氏の根性論とダルビッシュ氏の合理性は、自らが同じ環境にあった時代の経済状況を前提に成り立っていると考えられる。高度経済成長期ならば、それでもやり直しはきくが、若年層の収入が低迷する時代には、思い出に人生全てを賭けるのはリスクが高すぎる。現在の日本の経済状況は、どちらかというとダルビッシュ氏の時代に近い。そして、佐々木選手は、まだ高校三年生なので、これから今までの何倍も生きていかねばならない。それを考えれば、今の時代背景からは、ダルビッシュ氏の考えが妥当な考えになる。思い出、特にチームメイトの思い出のために残りの人生のチャンスを潰すことなど、あってはならないのである。

現代の問題そのものが露呈

この、佐々木選手の起用法の議論は、富める老人と貧しい若者という、現代の世代格差をそのまま反映したような問題である。