時々のこと

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日産西川社長辞任会見がヤバい


ゴーン氏をお金絡みで追い落とした日産の西川社長。自らもお金絡みで落とされることに。それは、別に良いのですが、この西川社長辞任のニュースが、短い文章でかつ簡単には気づかないような方法で、西川社長の印象を、"かなり"悪くする表現になっていて、国語現代文的に参考になる。西川社長の発言の切り取りだから、「事実」を報道しているだけなのだけれど。

対象となる記事

何が酷いのか

会見自体からの引用でないこと

日産の西川社長は辞任会見後、記者団に対して、次の経営陣は若い体制でやってほしいとの意向を示した。

この記事のネタ元は、会見後の記者団へ語った内容。
上場企業の社長なのだから、公人で良いんだけれど、ついその前に会見しているのだからね。これは余分といえば余分。しかし、会見記事を見ない人もいるだろうからね。まあ、会見後というのはあまり大したことはない。

発言の切り取りがヤバい

本当に短い記事である。

日産の西川社長は辞任会見後、記者団に対して、次の経営陣は若い体制でやってほしいとの意向を示した。

これ、まあ、エグゼクティブが辞任する時の常套文句である。後進に道を譲るという、まあカッコいい言葉のはずなのだけれど、自身が若くして辞任するのでなければ、これは単なる老害であるという自己紹介にしかならない。西川社長も例外でない。西川社長は、元々ゴーン氏の右腕だったのだから、ゴーン氏追い落としの時、引責辞任してもおかしくなかった。このタイミングなら、後進に道を譲るというロジックも成り立った。しかし続投している。これ、論理的には矛盾することになる。「次の経営陣は若い体制で」という論理は、「俺がいる時は若いヤツは使わない。俺がいなくなるのなら、俺と歳が近いヤツが残るのはシャクだから辞めさせて、若いのでヤレ」と言っているに過ぎない。つまり、自己中心的人間が言う言葉である。

悔いはないと言わせたいだけ

また、「ほぼ毎日、毎日、全力尽くしているんで、毎日悔いはない感じでやっていますから」という言葉を抜き出したのも分からない。これ、悪事暴かれて辞任することの悔しさに関するコメントを載せたかっただけな感じで、この部分の発言の切り取りだけでは、何に対して言っているのか分からない。さらにそれを、「次の世代が仕事できるようにしていくことを、我々周りからサポート、見守ることが大事」という言葉につなげることも意味不明。まあ、「悔い」に関する言葉を載せたいけど脈略ないから、つじつま合わせに持ってきた文という感じがプンプンする。「」の文を2つつなげているというのは、国語現代文的には、それだけで無理して繋げた文認定できるから。

悔いのない経営者

あと、「ほぼ毎日、毎日、全力尽くしているんで、毎日悔いはない感じでやっていますから」という言葉。これ、経営者としてどうなのだろう。採る施策、採る施策問題なく進んでいくなら良いけれど、大抵は何かおきて、対応をしていくのが普通ではないのかな。というか、経営というのはそういうものなのでは?全力尽くすから毎日悔いがないというのは、「俺がやることに失敗はない」という発想で、どこかにしわ寄せが来るヤツ。まあ、今の日産の状況を経営トップとして悔いがないと言えるというのは、西川社長は、よほどの人物だということはわかる。

西川社長はこのように述べた上で、自身の退任後の新たな体制については、若返りを果たしてほしいとの意向を示した。

この文は、最初の繰り返しであり、すでに書かれていた自分がいる時は、若いヤツは入れたくない。自分がいなくなるのなら、同世代は残したくないという完全自己中心的心情が現れた文である。これ、記者はおそらく「西川社長は、良いこと言ってると思って発言しているんだろうな。単なる自己中老害発言でしかないのに」と思いながら書いている。なぜなら、短い記事の中で、わざわざ2回同じ内容のことを書いているのだから、何らかの意図があるはずなので。

結論

この記事を書いた記者の意図は、意識的にせよ無意識にせよ、西川社長をディスることにあったということ。まあ、でも日産は、このところ営業的に大変なので、結果的には、良いタイミングで逃げられたというのが結末な気がする。