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新聞記事にみる藤井七段の商品価値


藤井聡太七段が豊島将之名人に敗れたというニュース。ここに、単なる勝負の世界とは言い切れない、お金の絡む将棋のプロという職業のシビアな現実が見られる。

記事

プロのシビアさの具体的内容

この記事は誰についてのものか

見出しを見れば一目瞭然。
「藤井七段、王将リーグで豊島名人に敗れる」

文の基本構造は、「藤井七段+敗れる」であり、追加情報として、「どのような場で」「誰に」が付加された見出しである。

つまり、この文の主役は、タイトルホルダーの豊島名人ではなく藤井七段である。

誰のコメントを掲載しているか

勝ったタイトルホルダーの豊島名人なはなく負けた藤井七段のコメントのみ載せている。

ダメ押し

極め付けに掲載されている唯一の写真が藤井七段の顔写真であり、豊島名人のものはない。

ネームバリューの所在の違い

豊島名人は、現在は名人であるが、次の名人戦で敗れれば、名人でなくなる。豊島名人のネームバリューの内の何割かは、本人ではなく名人というタイトルにある。このため、豊島名人の現在のネームバリューの内の何割かは、何れ落ちるものである。一方、藤井七段は藤井七段であること自体がネームバリューの本質であるため、名人から陥落した元名人ほどには極端に落ちる可能性は少ない。

プロとしての広告塔としての価値

新聞社としては記事を一般の人により多く見てもらうこと、日本将棋連盟としては一般の人に対する広告塔の役目を果たすことができるのは、この対局においては、名人という位に上り詰めた豊島名人ではなく、ひとまわり若い藤井七段だということがシビアに出ている記事である。幾ら何でも名人に失礼であるという言葉も出ないほど認知された、広告塔としてのバリューの違い。現実問題、豊島名人の名前は知らなくとも藤井七段の名前を知っている人は多い、というか、非常に多い。

広告塔としての価値を報酬として受け取れているのか

ひとつ疑問に思うのが、藤井七段は、日本将棋連盟及び今回のタイトルの王将杯の広告塔となっているが、これに対する報酬をプロとして得ているのだろうかということが少し気になる。あくまで王将杯の一参加者として扱われながら、広告塔としての役割をさせられているように見える。契約上そうなっているのかもしれないが、現実に他と比べて負わされた役目は、有名税というには大きすぎるのではないだろうか。

他の新聞社の記事

いずれも先に挙げたサンケイ新聞と同じ藤井七段の目線に立った構造で記事が書かれている。これは、記事としての価値が、誰が見ても藤井七段の方が高いというということを表している。

ネームバリューの対価

同じ高校生としては、サッカーの久保建英選手が、現在同じような環境に置かれている。どちらもその非凡な才能が、大人の世界で適正なネームバリューの対価を得ないまま消費されてしまわないことをお祈りします。