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多摩川堤防未整備区間の問題


多摩川下流部で唯一、堤防未整備の区間が決壊したことによる被害は、水没に伴う被害に収まらず、今後色々面倒なことが出てくるはずである。

記事

問題の人為的側面

「景観が大切」「家をのぞき見られる」というのが、堤防整備反対に対する、どの程度大きな割合を占める主張だったのかはともかく、過去数十年発生していない水害と、日々の景観およびプライバシーとの優先付けの考え方が、今回の決壊の人為的問題になっていたと言える。

問題となるポイント

この決壊、読売新聞の記事の図によると、堤防未整備の区間と浸水区域にズレが生じている。つまり堤防未整備の区間の前の区域は浸水しておらず、その下流の堤防のある区域が被害を受けている。

堤防を作らないことによる景観およびプライバシーの保護の享受者と、堤防による水害予防の受益者が異なるのである。つまり堤防を作らなかったために決壊したことにより損害を受けた被害者は、堤防整備に反対し、景観等の利益を享受した者とは別であったのである。

これから声をあげる者

堤防整備がなされなかったことに対し、水害を受けた側は声をあげる権利がある。しかしそれは誰に?

もちろん行政である国土交通省である。しかし、国土交通省京浜河川事務所、何もしていないわけではなかった。堤防整備計画はとうの昔に作成していた。しかし、(今回被害を被らなかった)住民の反対にあっていたのである。では、反対した住民に責はないのか。民事上はないであろう。しかし、今後も今の場所にとどまって生活するには多くを失ったはずである。反対した住民は、この決壊に直面した際、まず自分の不動産・動産に大きな損害がなかったことに安堵し、喜んだであろう。そして、その後すぐ、反対活動について頭に浮かんだであろう。反対に関するウェブページは、決壊被害が続く中、消された。

今後のこと

東京都が堤防を作っていれば、仮にそれでも決壊していたとしても今回のような複雑な関係は生まなかった。そして、その責任と補償については、まず誰がおよび何が問題であったのかから明らかにする必要があり、民事的、道義的にも、これから始まるものである。特に、住民間の問題は、今までも堤防賛成派、反対派と分かれていたであろうが、これから更に上のステージに入っていくのは避けられない。