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いじめ教諭への給与差し止め条例の問題点


この条例改正自体がイジメのような気がする。かなり問題で違和感のある条例改正ではないだろうか。条例としての練り込みが足らず、思いつきで他の整合性も考えず決めちゃった感がハンパない。

記事

あまりに多過ぎて選ぶのに迷うが、この記事は、簡潔で、かつ分からないようにこの条例の問題が何で責任がどこにあるかを書いているのでこれにした。

問題点1:後出しであること

給与差し止めというのは、実質的に罰である。これまで適用されなかった罰が後出しで過去に遡求して適用されるような条例を安易に「迅速対応」して決めてしまって良いのだろうか。

問題点2:改正すべきはそこなのか

これ、謹慎処分の制度がないので有給休暇になるということだった。では謹慎処分の定めを作るべきではないかということで、この条例になったように思われるかもしれない。しかしこれ、処分ではない。処分であれば判断がなされるのであるが、「起訴の恐れがある職員の給与を差し止める」というのは、あくまで恐れであって、されないかもしれない。そのような不確実な事項をもって処罰するのは恣意的運用の可能性を残すので、条例としてふさわしくない。いや、「今回のケースは明らかに起訴にふさわしいだろ」と言っても、そうでないケースが想定できる以上、条例とするのは違和感がある。

問題点3:市の判断回避

問題の本質は市が判断をしたがらないことであることに気付くべきである。改正すべきは、このような事態になった時に、市がどうすべきかである。市が判断し、懲戒解雇すれば給与差し止めどころか、そもそも支払う原因がなくなるので、市民の要請も満たす。しかも、解雇となれば、その時点から解雇された教諭は、別な生計を立てる方策を立てることができる。しかし、今回の条例は、市が教諭を処分しないため身分は教諭のままなのに給与は支払わないという宙ぶらりんの形にするというものである。これは、市が問題と考える教諭を恣意的に金銭的困窮に追い込むことができるツールである。これを許すことの正当性があるのだろうか。

問題点4:推定無罪の考えはなし

この条例が定めるのは、実質的に罰金である。教諭の給与水準から見て、いわゆる刑法の罰と比べ過大に大きな罰になる可能性さえある。注意が必要なのは、この条例で受ける金銭的罰とは別に、起訴されれば刑を課される可能性があることである。そしてそれは未だ可能性があるにとどまっているのである。起訴されたら差し止めという条例があるのだから、それまではコストとして支払うべきなのではないだろうか。犯した罪に対する罰は法律で用意されている。そして、刑法では裁判で判決が下るまで推定無罪という考え方がある。起訴されたら差し止めさえ、推定無罪の考えから離れているのに、更に起訴されていないものに罰を与えるのがこの条例である。

問題の原点に帰る必要がある

市民の声は、問題の教諭たちが有給休暇扱いで給与をもらっているのはおかしいというものであり、金銭的に困窮させろではないはずである。もし、金銭的に困窮させろという声であれば、行政である市はそれができないことを説明し拒否すべきである。そして、"有給休暇扱いはおかしい"という考えに対する答えは、短絡的に思い付く"無給の休暇にする"ことだけではない。この辺りをちゃんと精査して条例を見直すべきであった。適切な条例を定めるのは議会の義務であり、慌てて改正したこと自体が議会の怠慢なのである。

この共同通信社の記事の良い点

この記事、単なる事実報告のように簡潔であるにも関わらず、この条例の問題が何で、責任がどこにあるかを書いている。これは凄い記事である。

この記事の言う「この条例の問題点」

1つ目は、見出し

加害教諭の給与差し止め迅速対応

普通迅速対応は良い時に使うのだが、記事全体から、これは拙速と取れるようになっている。

2つ目は記事本文

批判を受けて神戸市と市教育委員会が対応を急いだ。

批判を受けて対応を急いだ。これも拙速を意味するし、批判をかわすことが目的の条例改正だと言っている。要は、この条例改正は、一刻も争う緊急事態なのかということ。起訴さえされていないが、市と市教委から見て悪事を働いたと判断される者は、ちゃんと市もしくは市教委として判断した処分を下したくないけれど、給与は差し止めるよと。どんだけ責任逃れで独断的な条例なのだ。

この記事の言う「責任の所在」

 市関係者によると、条例改正は久元喜造市長の意向が強く反映された。

久本市長の「意向」か。ならば分かる。市もしくは市教委の判断で誤った処分を下したとなれば市長は責任を問われるのだから。差し止めならば、後で起訴されなかった場合は、差し止めを解除すらば良いだけということね。判断をせず市民感情に迎合する案がこれか。推定無罪などこれっぽっちも考慮せず、処分も下さないことの問題は、悪いやつに対する改正案だから気にしないという考えの持ち主かな。