日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

犬の命で人の命を守ること


人の命は何ものにも代え難い…という思いから出たビジネスということか。問題となる観点は複数あるが、中心としては犬の命より人の命の方が重いという"合理的判断"により、それらを乗り越えているということだろう。しかし、これが記事になる時に、編集の"意図"が入り込む余地が生じるのである。

記事

人間のために死ぬための命

犬は銃を恐れません
人間のように撃たれたら死ぬかもしれないとは考えないのです

いや、そう教育されているだけである。そもそも撃たれたら死ぬかもしれないとは考えないから利用するという発想は、詐欺師の発想である。積極的に命を奪うことをしているわけではないが、命の危険に自ら飛び込むことをためらわずにできるよう教育しているのである。発想の元にある考え方は、自爆テロをさせる側の考え方に近い。

罪の意識

短い動画からは分かりづらいが、少なくとも動画制作側には、多少の罪悪感はあるようで、動画タイトルに「銃乱射への新対策、学校に“クローン犬”配置へ」と、"クローン犬"という言葉を入れている。動画中にはクローン犬であるこおの意味について一切説明がないにもかかわらず。これは、かなり無理なロジックであるが、クローン犬ということは、1頭の犬が元になっており、そこから生まれるクローンも同じ命とみなす、つまり、クローンを何頭作ろうとも、犠牲となる命は1頭であるという考えを強引に使おうとしているのである。クローンという言葉の持つ無機的なイメージがそこに用いられているのである。そして、少しタチが悪いのが、このクローンについて、タイトルに用いていながら、動画本編では、それについての説明が一切ないことである。つまり、この動画編集者は、"クローン"という言葉一言のみで、犬の命を以って人の命を救うことの後ろめたさを和らげようとしているのである。

合理性の弁明

人の命と犬の命には軽重の差があるという前提の取り組みであり、この命の軽重の差は、犬の訓練を行う男性には自明もしくは前提となることであり、ここについては何ら後ろめたさはないが、動画制作のTBS側は、そこにも配慮していると匂わせたいのだろう。しかし、匂わせるにしてはかなり薄いため、本気ではなく、犬の命について、登場する男性は犬の命より人の命が優先するという考えであるが、TBSとしては考えていますよというポーズをとっているだけのように見える。

男性の本意

この記事は、銃社会のアメリカでは、犬を利用した乱射事件発生時の制圧サービスの客観的紹介という形をとっているが、実は非難の意味を込めていると見ることもできる。つまり、すでに上に書いた、クローン犬を用いることによる罪の意識から逃れる考え方は、制圧サービスを提供する男性のものであり、実はインタビューした際には語られていたが、その部分を制作側が意図して落としたという可能性である。これは、なぜクローン犬を使うのかという我慢に対し、動画中で男性が答えていないから生じるものである。動画制作側の罪の意識の言い訳には使うが、男性にはその機会を奪い、意図的に悪者に仕立て上げるというのであれば、これは男性を意図的に貶めるものであり、公正な報道とは言えない。
クローン犬を用いるというのは、男性の考えであり、動画製作者のアイディアではないのだから、男性の口から説明させるべきである。