記事は巧妙に書かれていて、この先生は、叱るもしくは指導するのではなく、その言動が怒りの感情に任せてしまったことを印象づけるようになっている。先生は叱る技術の訓練が必要なのだろう。
記事
教諭の行為の是非確認
では、この記事に書かれた教諭の行為1つ1つにつき、是非を確認していきたい。
授業中、担任する2年の男子生徒の顔を平手で数回たたく体罰をした
体罰というより、暴行という犯罪の構成要件を満たす行為をしたということが書かれている。
生徒にけがはなかった。
傷害罪の適用はないということ。
教諭は事実関係を認め反省をみせているという。
まあ、他の生徒もいる場での行為なので認めざるを得ない。
男子生徒に問いただした際、
問いただすのはギリギリ指導と言えるからセーフなのか?
受け答えに腹を立てて
この記述により、指導ではなく、怒りの感情に支配された行動だと書かれている。
顔を平手で数回たたいた。
わかりやすい暴力を振るったと。シンプルに書いている。
帰りの会を故意に長引かせ、生徒たちの下校時間を1時間遅らせた
ここは、息抜きのところなのか、ちょっと表現が微笑ましい。嫌がらせの質が、他と違うような印象を与える表現である。ただし、実際はこの長引かせている時間は、ずっと怒りに任せた行為をしていたのであろうから、その場にいた生徒にとっては、微笑ましい行為でもなんでもない。とくに、1人の生徒の行為に対する怒りを他の生徒たちにもぶつけたことになるのは、全体責任を負わせることで、1人の生徒を追い込むことを意図しており、行為としてはかなり悪質。
学級目標を掲げた紙を乱暴にはがす
威圧的態度をものを破壊することで表現している。こういうことするのは中学教諭としてではなく、人としてかなりまずい種類の人間である。
不適切な指導も行った
指導の範囲を超えている。単に言動を感情に任せて行なってしまったということであり、指導という言葉を使うことが不適切。
男性教諭はその日のうちに男子生徒の保護者に謝罪。
「その日のうちに」というのがポイントで、本人もまずいことをしたという認識はあったということ。
男性教諭は顧問を務める部活でも行きすぎた指導があった
内容不明ながら、教室での行為から、肉体的精神的暴力を行なっていたと想定できてしまう。
現在は顧問から外れているという。
まあ、これは教諭の自主的な行為ではないので是非はない。
結論
この教諭、バリエーション豊かに不適切な行為をしていると記事に書かれている。感情に任せているにしては、効果を計算している印象もあり、かなり悪質である。中学教諭としておくのは危険である。
市教委のコメントの是非
「体罰は問題で、何らかの措置を取る必要がある」と処分を検討している。
この教諭の悪事は、体罰という言葉でくくると狭いのではないかと。精神的追い込みも「体罰」に含まれるのであれば良いけれど。