時々のこと

子どものサッカーについて。小学校から遂に高校までたどり着きました。その他時々のこととか。

「欲望の塊」という地味な喜劇が悲劇になるまで


どうしてこうなったのだろう。バラエティ番組が、悲劇になるなど誰が予想できたのか、自殺したプロデューサーは、どこでこの番組が喜劇ではなく悲劇だと認識したのだろうか。最初からだったとしたら、悲惨すぎる。

放送したTOKYO MXのコメント

始まりは喜劇

"超高級スーパーカーを賭けたホスト達のガチバトル"という名目で始まった番組。しかし、イケメンホスト達がやらされたのは、ババ抜き、クイズ、バブル相撲、そして、決勝戦がドッジボールと三輪車競走…。参加者が、youtube以下の現場と言っていたが、本当にその通りだ。これがホストによるガチバトルかぁ。地上波放送かぁ。

結末は悲劇

プロデューサー自殺という悲劇の結末。なぜバラエティ番組で自殺者が出なければならないのか。

出演者が払う出演料(宣伝費)

参加したホストは、ギャラをもらうのではなく逆に出演料(宣伝費)を払っていた。この「出演料」というのがどういう位置付けになるのかが難しい。ホストが番組出演をどのように考えるか、もしくは制作側がどのようにホストに売り込んだのかで変わる。ホストは客商売である。新宿に行けば、荷台部分にホストの写真を掲げたアドトラックをたくさん見ることができる。ホストは顔を売ってお店に来てもらうことが売上につながることから、アドトラックに宣伝費用を払う。これと同様の発想で、テレビに出ることで顔を売ってお店に来てもらおうということか。テレビ出演は宣伝と考えれば、この番組に金を払って参加することに抵抗のない、もしくは積極的なホストがいてもおかしくない。ゆえに、ホストが、製作会社に出演料を払ってまでテレビに出ることは、おかしなことではない。

賞品のランボルギーニ

参加するホストが出演料を払うという構造上、優勝賞品のランボルギーニも、結局、ホスト達が払ったお金から出ていると考えることができる。ちょっと考えるとおかしな構造であるとわかる。出演料の多くが、番組の質を上げることではなく、張子の虎の役目をするランボルギーニに費やされるのであるから。まあ、実際は費やされなかったから問題になっているのだけれど。

番組の収支構造

この番組の収入、支出の内訳はどのようになっているのだろうか。もし収入が、ほぼホスト達からの出演料のみであったのなら、この番組の収支構造はおかしなことになる。ホスト達の出演料から、MC等を務めるタレントに支払うギャラもランボルギーニの費用も、製作会社の利益も、ここから出すことが前提となる。ホスト達は、本来は、宣伝費を支払う側である。だから、金銭的負担をすることに異議はないはずである。しかし、この番組は、出演して優勝すればランボルギーニという、金銭的価値の高いものが手に入るといういびつな構造になっている。このため、それこそ「欲望の塊」となって、払った以上のものを得ようと番組内で競うことになる。宣伝のための投資であったはずのものが、それだけ払ったのだから、より多くのリターンを得たい、損はしたくないという思考に変わるのである。その意味では番組タイトルである「欲望の塊」と、金の流れの構造が合致している。しかし、そうなると問題も生まれる。

賭博罪の疑い

偶然に左右されるもので勝敗が決まり、それにより、勝者が何らかの利益を得るような仕組みは、賭博法に該当する可能性が出てくる。ただし、この場合であっても、今日の夜ご飯を賭ける等の、一時の娯楽のようなものであれば不問に付される。しかし、もらえるのはランボルギーニだからね。一時のものではないし、金額も高額である。偶然に左右されるかというと、まあ、クイズは偶然ではないかもしれないが、回答権を得るための仕掛けに偶然性があるし、ババ抜きやバブル相撲は、まあ、偶然に左右されると考えられる。そして、勝者はランボルギーニという利益を得る。これは賭博法に引っかかる可能性がある。賞品が、純粋に番組の製作会社から出ていればまだしも、その原資が、参加者であるホスト達が払った出演料だとすると、それは…単純に賭け事になる。しかも、製作会社が制作費を、ホストの払った出演料から得ていたのであれば、それはテラ銭ということになり、賭場の開帳罪になる可能性がある。

結末は悲劇

報道の通り、プロデューサーは自殺した。お笑い系バラエティ番組で製作者が自殺するなど悲劇である。しかもそれだけでは終わらない。ランボルギーニを得られなかったホストは、制作会社に当たっていくしかなくなるし、TOKYO MXは、謝罪文まで出している。放送枠を売って、制作に関与しない放送については、どのような責任が生じるのだろうか。悲劇は広がっていく。

詐欺罪の可能性

しかし、ランボルギーニを用意しないまま番組を制作したのはどういうことなのだろう。最初から詐欺を行うつもりであれば、番組自体を作らず金だけ集めて逃げるという手もあったであろう。しかしそうはしていない。番組自体は一応作っていたことから、プロデューサーとしては、集金し、そこからランボルギーニの費用を含めた制作費とTOKYO MXの番組枠購入費用、自分達制作側の利益を得る算段があったのだろう。何が狂ったのだろうか。あり得るのは、参加するホストの数が少なく原資不足のまま始めたか、そもそも自転車操業で、資金流用目的で集めたためうまく回せなかったか、はたまた、プロデューサーとは違う次元でお金が動いてしまったのかであろう。

製作会社の収入獲得の仕組み

これの設計がまずかったのであろう。参加するホスト達の出演料と、番組中のCM枠を売ることによる収入が考えられる。前者は結果論であるが、ランボルギーニの費用で半分使い、タレントへの出演料支払いや、本来の製作費用で使ってしまう額に思える。このため、後者で稼がなくてはならなかったが、それがうまくいかなかったのだろうか。

企画のチープさ

ランボルギーニが用意されていることを前提に考えると、お金は逼迫する可能性は分かる。ホスト達からの出演料は、2千万に満たないようなので。だからチープな番組になっても仕方がない。しかし、実際にはランボルギーニは、用意されていなかった。では、お金はどこ行った?ここが目に見える闇。

敗れたホストが対価として得たもの

ランボルギーニがもらえず不満を口にする優勝したホストに目が行きがちであるが、敗れたホスト達は、支払った出演料だけのものを得ることができたのだろうか。本来のホストとしての知名度、店に来ていただいた客への話題作りが、期待される効果であろうが、バブル相撲、三輪車競走、ババ抜きで、その効果があったのだろうか。彼らは、ランボルギーニという商品を得られなかったので、出演料として支払っただけの何かを得られなければ、不満だけが溜まる。そして、その不満は、つまり、払ったのに何も得られなかった、むしろマイナスだったということである。結局、得られるものが、人気や知名度向上による本業の売上向上でなければ、期待できたものは、偶然得られたかもしれないランボルギーニのみになり、これは、即ち、この番組出演が、ホスト達にとっては主観的にも賭博でしかなかったということになる。一方、番組出演で、本業がうまく行ったホストがいれば、それは良い企画に出演したということになる。

この番組の価値

人が1人自殺しなければならないほどの価値があったとはとても思えない。問題はこの番組の外にあったのではないだろうかと思いたい。

亡くなったのはプロデューサー

製作会社社長は別にいる。この社長、表に出てこないが、今どうしているのだろう。