台湾が、2019年12月にWHOあてに、中国において人への感染が疑われる事案が起きていると警告した通知を公表した。コロナウイルスの高度な政治利用であるが、これはWHOの意義を問うことにもなる重要な政治利用といえる。
記事
事の始まりと現況
この件は、次の2件の記事にあるように、アメリカと利害関係が一致した台湾とWHOの攻防に端を発している。
アメリカのWHO非難
米国務省は、WHOは新型ウイルスへの警鐘を鳴らすのが遅すぎ、中国に配慮しすぎていると非難。台湾からの情報について調査しなかったことに疑問を呈した。
これは、ジャブで、その後の文がポイント。
同省の報道官は、「WHOが2020年1月14日の声明で人から人への感染は確認されていないと発表したことに表れているように、台湾からの情報を公表しなかったことを(米国は)深く憂慮している」と述べた。
WHOには、中国と反目する台湾から有益な情報がもたらされたのに、中国に配慮するあまり、公表しないどころか、「人から人への感染は確認されていないと発表した」ことは事実と真逆の発言であると非難している。さらに続く文は、さらにWHO批判が加速する。
同報道官は、「WHOがまたしても公衆衛生より政治を優先した」と指摘
過去の文章は、「またしても」がポイントになる。ここで、米国は、WHO批判ネタを提供してくれた台湾に対して報いることも忘れず、次のように付け加えている。
2016年以来、台湾のオブザーバー参加さえ認めていないことを批判した。
台湾のWHOへのオブザーバー参加を認めていない事実のアメリカからの避難、つまりアメリカによるオブザーバー参加の支持表明になる。
さらに、WHOの行動によって「時間と人命が失われた」と述べた。
この部分は、相手に対するマウントとなる。これで、アメリカは、WHOに挑戦状を叩きつけた形でターンを終える。
WHOの反ちょっと腰が引けた反論
次は、WHOが反論するターンである。
WHOは昨年12月31日に台湾当局から電子メールを受け取り、これには「中国・武漢(Wuhan)で非定型肺炎の症例が見つかり、地元当局はこの疾患が2002年から2003年にかけて774人が死亡した『重症急性呼吸器症候群(SARS)ではない』と確信しているとの報道がある」と書かれていたが、「人から人への感染についての言及はなかった」と主張した。
WHOの主張は、非定型肺炎がSARSではないということは書かれていたが、人から人への感染について言及はなかったことから、台湾からの情報について調査しなかったことに対する非難は当たらないというロジックである。この程度の反論であるとマウントを取り返すまでには至らない。とりあえず跳ね返したという印象である。さらに次のように返すのだが、これがまずかった。
WHOは台湾当局に対し、人同士の感染の疑いについてどのように「WHOに連絡を取ったか」説明するよう求め、「われわれは、この電子メールには人から人への感染について言及されていないことだけは把握している」と強調した。
この強調、要は、電子メールには、人から人への感染について言及されていない。つまり、感染することを台湾がWHOに伝えていたというのならば、メール以外の方法で連絡したはずだから、それを提示せよと言っている。WHOとしては、台湾からのメールに「人から人への感染」について明示的に書かれていない、だから公表しなかったことに対して責められるものではないと強調したことになる。
第三者であったはずの台湾のターン
これで、台湾のターンになる。台湾の回答は、最初に引用した記事にある通りシンプルなロジックである。メールには、次のような記載があるとする。
中国の武漢で非定型の肺炎が少なくとも7例出ていると報道されている。現地当局はSARSとはみられないとしているが、患者は隔離治療を受けている
これに補足する形で、台湾の陳時中衛生福利部長は会見次のように述べる。
「隔離治療がどのような状況で必要となるかは公共衛生の専門家や医師であれば誰でもわかる。これを警告と呼ばず、何を警告と呼ぶのか」と述べ、文書はヒトからヒトへの感染が疑われる事案が起きていると警告していたと強調しました。
つまり、「隔離治療を受けている」と書けば、誰でも人から人へ感染すると分かる。まさかWHO内の人間がそれに気づかないというのか?本気か?と挑発的に返している。
現時点の状況〜攻防は継続中
まあ、WHOは、文字通り明示的に書いていないと主張し、台湾は、お前ら、明示的に書かないと分からないのかと言っているわけである。現時点では、論理的には、台湾の勝ちである。これにWHOがどう反論するかが、次のターンである。また、論理的勝ち負けと政治的勝ち負けは別なので、この攻防がどのように決着するかはまだ分からない。ただ、米国と台湾が、これについて中国を共通の敵として互いに利用しようとしていることだけは、明確に分かった。戦いはまだ続くであろう。