スポーツ技術やルールが進化すると、直感的には理解できないことが起きる。それを象徴することが立て続けに日本選手の試合で起きた。
柔道男子60キロ級髙藤直寿選手
反則勝ちである。相手選手が反則をしたためというのだが、相手選手のしたことは、攻める姿勢を見せなかったことによる指導を3つ受けたこと。しかも高藤選手は、準々決勝でも反則勝ちをおさめている。
これが僕の柔道
豪快に勝つことはできなかったけど、これが僕の柔道です
まさにこの通りで、観ている側に華々しい感動を与えることより、確実な勝ちに行ったということ。とにかく金メダルのためにできることをしてきたと。相手が2回、自分が1回の指導を受けているような、相手の方が指導の数が多いシチュエーションならば、自分も指導を受けることを覚悟で二人とも指導を受ければ、相手は3回で失格、自分は未だ大丈夫という状況を作れる。これは駆け引き。柔道では常道。
競泳男子400m個人メドレー瀬戸大也選手
本命の400m個人メドレーでまさかの予選落ちということだが、瀬戸選手のコメントが次のもの。
リオで、予選結構いってしまって、決勝、上がらなかったってことがあったので、そういう経験も踏まえて(略)明日しっかりと上がるように泳げばいいやという感じで泳いだんですけど
「明日しっかりと上がるように泳げばいいやという感じで泳いだんですけど」という表現からは、予選突破は当たり前で、決勝の泳ぎのイメージを持った泳ぎをしていたら、決勝に残れなかったと多少驕ったニュアンスのある表現もあるが、これは試合直後のインタビューであるので、その辺りの細かい表現についてとやかく言うのは避けて考えると、言っていることの本質は、金メダルを意識したがために戦略的に予選を泳いだら、決勝に上がれず失敗したということ。
決勝に向けた戦術と結果を分けたもの
高藤選手も瀬戸選手も金メダルをにらんで、戦術的に予選と決勝を考え、戦ったことは変わらない。そこで成否を分けたのは、もちろん運の要素も大きいだろうが、相手の存在の感じ方の種目的違い。柔道は相手が目の前にいるが、水泳は横に並んでいるし、予選で別の組の場合、一緒に泳いでさえいない。しかも水中である。過去の自分の肌感覚で、これ位なら体にダメージを残さず予選突破できるだろうと決める部分も必要。今組んでいる相手を見ながら戦う柔道とは大きく違う。
柔道も水泳も、決勝の舞台に上がらなければ金メダルは取れない。しかし、決勝前の試合においては、戦う相手にただ勝つのみでなく、どのように勝つかも重要になる。トーナメント形式で相手を直接下すスポーツである柔道と、予選形式で複数相手と文字通り横並びの中で抜きん出ることを競うスポーツである競泳では、駆け引きも大きく異なる。そんな中、柔道高藤選手と競泳瀬戸選手は明暗を分けた。オリンピックの女神は、この結果にどんな思いを込めたのだろうか。
高藤選手は一発勝負、瀬戸選手はあと2回チャンスがある
柔道高藤選手は1種目しか出場機会がないから、これでおしまいだが、競泳の瀬戸選手はあと2種目ある。だから、今回の教訓を生かすチャンスはまだあるといえばある。ただし、今回の400メートル個人メドレーが本命ということだが。