時々のこと

子どものサッカーについて。小学校から遂に高校までたどり着きました。その他時々のこととか。

ドラえもん、君は一体何しに現代に来たのか


「あんなこといいな できたらいいな…」で始まる「ドラえもんのうた」。以前のドラえもん主題歌である。この歌、今は主題歌ではなくなったが、その理由は、子供に歌わせては教育上良くないからだったのかもしれない。
よく歌詞を思い出してほしい。

一見ドラえもんへの友情の歌に見える

歌詞の最後に「とっても大好きドラえもん」と言ってのび太からドラえもんへの友情の表示がなされる…かのような文がくる。
また、歌詞のほとんどを使って、未来の発明品を取り出すドラえモンの行為を、 「空を自由に飛びたいな」とのび太が言えば、「はいタケコプタ―」とドラえもんが応えると言った形の二人の「あうん」の呼吸のエピソードで示している。

歌詞の構成

この歌詞は、1番だけで、
   ・ドラえもんの特性
   ・ドラえもんとのび太の関係
を表している。
そして、意識はされていないけれど、大抵の人は、この二人の関係を友情関係となんとなく受け取っている(と思われる)。
そのために、世の親も、この歌詞がテレビに流れ、また、子供たちが歌うことに特に注意を払ってこなかった。
しかし、この歌詞をもう一度よく思いだして欲しい。

友情ではなく主従

この歌詞には、のび太が一方的に「とっても大好き」といっているが、ドラえもんの方は「はいタケコプタ―」としか言っていない。
ドラえもんに感情の表現はなく、ただのび太の気まぐれな願望を満たす行為を行っているだけである。
ここからは、友情関係というよりも、主従の関係しか読み取れない。

歌詞から離れた確証

現代文解釈は、書かれたことのみを手がかりに解釈するという原則に反するが、マンガ、アニメでは、ドラえもんは、だめなのび太をサポートするために未来から送りこまれたロボットという設定であり、そこにあるのは友情ではなく主従であるのは確かである。そういう意味でこの歌詞だけでそれがわかるというのは凄いと言えば凄い。
しかしねえ、子供が歌うのはちょと・・・・。

主従の関係とともにあるもの

では次に、より一層のび太の性根の悪さを際立たせる分析をしよう。
次の歌詞の意味を考えてみよう。
  あんあんあん とっても大すき ドラえもん
この「あんあんあん」は完全なる甘えの表現である。
甘えと言うよりこびへつらっているのかもしれない。
自分の欲望を次から次へ実現してくれ、困った時にも必ず助けてくれるといったことを繰り返されれば、そりゃあ人はおかしくなるだろう。おかしくならない方が変だ。

"あんあんあん"の意味

なんでも言うことを聞いてくれるから主従の関係はのび太の方が上であるといっても、実際ドラえもんがいなくなればのび太はたちいかなくなってしまう。だから、のび太は、自分より下の者であるドラえもんの機嫌も損なわないように気にしなければならない。これが「あんあんあん」という屈折した表現になっていると読める。
だから、「とっても大すきドラえもん」という部分も、自分より下の者に媚(こ)びた表現であると言える。

単に能天気な可能性も

ただ、「とっても大すきドラえもん」という部分は別な解釈も可能で、単に「ぼくの欲望をことごとくかなえてくれるからすきだよ」という媚びる要素のない脳天気な感情表現である可能性はある。
のび太の場合、この可能性も捨てがたいところがどうしようもない。
どちらにしても、道徳的に誉められた歌詞ではない。
子供が元気良くこの歌を歌ってよいものかどうか・・・・。

漫画の内容を簡潔に表現した歌詞ではある

しかし、だからと言ってこの歌詞が駄目な歌詞であるというわけではない。
先に述べたとおり、ドラえもんというマンガ、アニメは実際にそういう話であり、この歌詞はその内容を簡潔にわかりやすく表現しているという点では秀逸である。

のび太をダメにするドラえもん

結果論からみて、ドラえもんは何しに未来から来ているのだろうと言わざるを得ない。ドラえもんが来たせいで、のび太を「ちょっと冴えない人」から「困った人」に導いてしまっているような気がする。
所詮はネコということか。

のび太以外の優秀さ

それにしても、ドラえもんという敵を向こうに回して、自分の力で生きているスネオとジャイアンは偉いなあ。
しずかちゃんも要領よさそうだし。

信じるか信じないかはあなた次第

この歌、今は「ドラえもん」の主題歌ではなくなったが、その理由は、子供に歌わせては教育上良くないからだったのかもしれない。