時々のこと

子どものサッカーについて。小学校から遂に高校までたどり着きました。その他時々のこととか。

また神戸、また須磨区か…となる女性教諭による体罰


小学校1年生にやることではないな。怖いよ、この女性教諭。

記事

全方位的にダメな行為

この女性教諭の行なった体罰は、単に小学1年生の学級全員を1時間以上立たせたということにとどまらない、複数のダメな行為の塊である。

小学1年生を長時間立たせたこと

これは記事中にもある通り、学校教育法で禁じられた体罰に当たるので、これだけでもうダメである。

連帯責任としていること

この女性教諭何を問題にし、どう罰を与えているかがもう根本的にダメ。

その日の日直の児童が「起立、礼」の号令をかけた際、「声が小さい」「ちゃんと言えるまで駄目」などと言って、学級の児童全員約30人を1時間以上立たせたままにした。

特定の児童の号令が良くないというのならば、その児童を指導すれば良いだけのこと。何故その児童を受けるのがクラス全員なのか。というか、指導ではなく体罰なのだが。これ、児童間の監視システム構築を狙ったもので、非常にタチが悪い。これが問題になっていなければ、間違いなく今後、声の小さい日直は、自然発生した学級の自警団に吊し上げられたはず。こうなれば女性教諭は何も言わなくとも望みを達成することができる。しかし、号令の声が小さいことが仮に問題であったとして、それを指導するのは女性教諭自身の仕事なので、自警団なんて使うことは、仕事をサボっていることになることを分かっているのだろうか。号令の声が小さいだけで学級全員立たされるのだから、お金をもらっている仕事をサボったというならば、校長共々職員室で教諭全員1時間以上立っていないとダメなのではないか。そう考えられないところがすでにダメ。

指導する内容と罰のアンバランス

これもひどい。小学1年生の児童なら、色々な個性を持った子供がいるはず。それで号令の声が小さいなどということを問うことがそもそもいかがなものかと考えられるけれど、その程度のことで禁じられた体罰を学級全員に課すというのはどういう感覚なのだろうか。仮に立たせることに教育的意味があったとしても、小学1年生の掛け声が小さいだけで、そのような罰を与える意味はあるのだろうか。やっていることは、過大な罰を与えることで恐怖政治を敷くことなのだろうな。号令の声が小さいことなど、どんな小さな罰でも与えるに値しないこと。悪いことでもなんでもないのだから。

児童を追い込むこと

より恐ろしいのは、『「ちゃんと言えるまで駄目」などと言って、学級の児童全員約30人を1時間以上立たせたままにした。』というもの。このように追い込まれた児童、というか6歳程度のこどもの感じた恐怖はもう筆舌尽くしがたいはずだ。1時間以上、「ちゃんと言えるまで駄目」と言われ続けたとしたら…。児童の中には「ちゃんと大きな声で言えよ」と、女性教諭の思うツボなことを言い出す者も出かねない。まあ、そのための学級全員への体罰なのだけれど。

最もダメなこと

その間、授業はしなかった。

これ、最悪。仕事してない。体罰するだけでなくすべきことをしていない。号令の声が小さいなど全く些細なことに見えるダメさ加減。
やはり職員室で校長とともに1時間以上立っているべきだね。

またも神戸市須磨区

他の先生方は大丈夫だと思うのですが、「先生ちゃん、ちゃんとしてね」…と、小学校に上がる前の子を諭すように言うしか親には自分の子を守る術は残っていないのだろうね。