日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

サッカーで自分の子に目指させるもの


我が子の少年サッカーで何を目指すのか。

1.全国大会優勝を目指す。
2.県大会優勝を目指す。
3.市大会優勝を目指す。
4.所属チームのベストを目指す。
5.自分の子のベストを目指す。

また、そもそも県大会とか何とかのチーム成績ではなくて、トレセンとかチームセレクションとかを目指す親もいるでしょう。

自分の子はどれに当てはまる?

トレセンやセレクションはともかく、自分の子が試合に出ることを目指す親は、少なくとも今この時点では、5.であることは間違いないと思う。では、「下手な子は試合に出られなくても仕方がない」と考える、"試合に勝つこと"を目指す親は、1.〜5.のどれを選ぶのだろうか。

4.なのだろうか。
4.なんか勝つこと目指してないのじゃない?
試合に勝つことを目指す親は、1.を迷わず選ばないと考えに矛盾が出ると思うのだが。

試合に勝つことを選ぶ親が目指すもの

勝つことを目指すならば、勝てるチームに入らないと話にならない。
下手な子が試合に出る可能性のあるチームにいても勝てるわけがないと考えないと。

試合に勝つことを目指す親が、もし5.を選ぶのであれば、下手な子が試合に出るべきでないと考えるのは勝手だが、試合に出られない子の親が、下手な子も試合に出すべきだという考えを否定することはできない。

なぜなら、それぞれの親が自分の子のベストを考えるのは当然で、自分の子のために他の子は我慢して当然という考えは、5.からは出てこないから。

4.も、所属チームがと言いつつ、実態は5.であるはず。

上手い下手は相対的なもの

下手な子は試合に出るべきでないという考えの親は、ずっとナショナルトレセンに選ばれ続けて、年代別代表にも当然選ばれ、プロになり、ヨーロッパの一流チームのレギュラーの道を一度も挫折せずに歩むことが約束された才能の持ち主なのだろうから、羨ましい。

しかし、過去、日本人でそのような選手が何百人いたのだろうか。

つまり、試合に勝てる、より強いチームに入れさせるわけでもなく、「試合に勝つためには下手な子は出さなくて当然」と言うのは、下手だけれど試合に出せと言うのと変わらないと理解しないといけない。

サッカーの上手い下手は相対的なものだから。