日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

全力でプレーすること


常に全力でプレーする選手…少年サッカーでは、これはどう評価されるべきなのだろうか。うちの子はこのパターンなのだが、たとえば、明らかにラインを割る球を全力で追う場合、体力消耗するから無理なボールを追うのはやめろと言った方が良いのか。それとも勝利への執念があると褒めた方が良いのか。こういうの、教育的な話と実利的な話が絡む、結構面倒な問題だと思う。

練習を終始全力でやる子

練習においても同じである。ダッシュの練習を本気でやるのと流し気味にやるのでは、どちらが良いのか。ダッシュを本気でやると、体力の消耗が激しいので、後の練習に差し支えるかもしれない。サッカーの練習は、ボールを扱ってこそだと言うなら、本気のダッシュをずっと行うのは疲れるだけという考えもありかもしれない。
ドリブルしてからシュートみたいな練習時に、何も言わないと、シュート後、列に戻る際にタラタラ歩く子と、駆け足で戻る子が出てくる。これもダッシュと同じで、戻る時まで走っていたら疲れてしまうと言えるかもしれない。タラタラ歩いたとして、そこで失う時間は、その分走って戻れば有効に使うことができるのであろうか。単に順番を待つだけなので、有効活用できるとも思えない。

1日の練習のリズム

その日の練習開始から全力プレーを続けていると、練習の最後に行われることの多い試合形式の練習時には、もう体力がなくなっているかもしれない。夏の炎天下の長時間練習だとそうなることは目に見えている。試合形式の練習こそ実際の試合の役に立つ一番の練習と考えたら、それまでの練習で消耗してしまって、良い動きができなくなるのは、上手くなる経験を積むチャンスを自ら手放しているに等しいのかもしれない。試合に出るために努力しているのに、試合形式の練習という貴重な機会を無駄にするのはちょっとおかしい。というわけで、練習の強弱、リズムをつけることで、全力ですべきことと力を抜いて良いことをコーチが明確な言葉で示してあげてくれると良いと考える。

サッカーに真剣に取り組むこと

もう一度、最初に立ち返って、サッカーに真剣に取り組むことと、常に全力でプレーすることは、同じと考えて良いのか悪いのか。子供に聞かれた時に、どう答えれば良いのだろうか。
試合に出るためには、コーチの心証を良くしなければならないということで、練習の最初から全力プレーをするよう子供にハッパかける親がいるかもしれない。しかし疲れから試合形式の練習で精彩を欠いてしまっては、それは逆効果であろう。試合や練習時、常に全力プレーをすることは、すでに書いたように、子供に勧められるものとは思えないというのが個人的には考える。うちでは、あまりに全力でやりすぎる傾向にあるので、子供にそう言っている。しかし、余り変化はなく、他の子対比では全力プレーをしている。
もし、全力プレーを勧めるべきものとした場合、上に書いたような事態は、どのように考えるべきであろうか。

何れにせよ一貫性が必要

言うまでもなく、教育者ぶって、練習も試合時のボール追いかけも全力でやれと言っておきながら、スタメン選びはその点を考慮に入れず、タラタラやってる上手い子を基本的に試合に出すというのは、最悪の行為である。このあたりのことについては、親もコーチも子供に説明責任があると思う。練習から常に全力でやれと一度言うなら良いが、ことあるごとに言い続けるならば、サッカーが上手くても練習で手を抜く子を、練習を全力で行う子より試合出場で優遇してはならない。全力でプレーしろというのは、技術面ではなく教育面での指導なのだから、コーチの言動は教育的意味で一致しなければならない。