日本語と少年サッカー

広く日本語に関わることとサッカーについて

大柄な子が試合に出るには


ないものねだり

大柄ではあるが機敏でないために試合に出られない子がいる。うちの子はどちらかというと小柄であるので、体格が大きい子はそれだけで羨ましいのだが、それでも試合に出られない子はいる。機敏でない大柄な子は、機敏な小柄な子に脇をスイスイ抜かれたりする。子供同士では、体格の差をあまり問題にしないようだが、親から見ると、身体が大きいのに小柄な子に抜かれるのを見ると、おいおいしっかりしろよと思えてしまう。

大柄で機敏であるに越したことはない

しかし周りを見てみるとこのケースは結構多い。動けないのは、本人にはどうしようもないのかもしれない。そういう子に対し、なんで動けないかと責めるのではなく、どうしたらその子でも動ける、もしくは動けるのと同様の貢献ができる方法を親が考えてあげるのも必要ではないだろうか。
足の速さに個人差があるように敏捷性にも個人差はある。しかしそれで試合に出られないのを肯定するわけにはいかない。大柄だが機敏でない子が出るチャンスがあるとしたら、やはりセンターバックなのだろう。ステレオタイプに思いつくのが背が高いイコールセンターバックだから。しかしセンターバックは守備の要。小学生の試合では、両サイドバックに身長が高い子が配置され、センターバックを小柄な子が守るケースをたまに見かける。これは敏捷性と身長のそれぞれを考慮した折衷的配置なのだろう。中学以降では、センターバックは背が高い者が、サイドバックはセンターバックより背の低い者というのが定石である。小学生では攻撃陣は敏捷性に優れたものを置き、敏捷性に劣る者はディフェンスにとなりがちである。しかしそれであると敵に攻められっぱなしであるので、センターバックには敏捷性に優れ、敵のクロス等に対応できるような壁となる背の高い者を置く。その際、背が高く敏捷性に優れた者がいれば良いが、そうでない場合に、背が高くとも敏捷性に劣る者を置いては敵の機敏なドリブルに対応できないので、高さを犠牲にしてセンターバックに小柄でも敏捷性に優れた者を置き、両サイドに重し的な背が高いが敏捷性に欠ける子を置くというチームが見られる。

敏捷性に欠けるならそれを逆手に取れば良い

大柄なだけで敏捷性に欠けるとセンターバックは務まらない…と一概には言えない。
相手をよく見てポジショニングをうまくとればチャンスはある。敵に向かう闘志が有ればなお良い。しかし、大柄だが機敏でない子には残念ながらアグレッシブさを感じない子が多い。感じないというか、逆に私は敏捷性にアグレッシブさを感じているだけなのかもしれない。

ならばアグレッシブさではなくその逆の冷静さで攻めることも考えてみる価値はある。

腰を低くし、ほんの少し前傾姿勢をとり、敵とゴールの間を巨大な壁のように塞ぐイメージで立つのだ。敵のフォワードから見て、シュートを打たせないぞというオーラを感じさせるような立ち方を身につけるのだ。
敵を止めなくて良いし球を奪う必要もない。接触する必要もない。敵がゴールに真っ直ぐ向かうのを妨げればよい。外に向かうドリブルを敵にさせればそれでよいと割り切った考えで守るのだ。

腰を低くほんの少し前傾。背が高い選手がこれをやれば、小柄なドリブラーには物理的威圧感があるから若干ひるむ。腰高で守っていれば抜いてやろうと思うが、腰を低くほんの少し前傾の姿勢ならばその気持ちを少しにしろ抑えることが可能になるということ。これならばアジリティの欠点を補うことはできるのではないだろうか。まあ、圧倒的な実力差が有ればこれは通用しないだろうが、身体が大きいことの強みはこういうところに現れると考える。小柄な側にいる子を持つ親としては、そう考える。

背が高いというだけでサッカーの才能の1つを持っているということ

身体が大きいというのはサッカーに限らないだろうが、大きなアドバンテージである。ならばそれを活かして、試合に出るべきである。背が高いことは羨ましいが、それも1つのサッカーの能力として捉えて、試合に出て欲しいと願う。