私は激怒した。
必ず「走れメロス」が友情を賛美する名作であるという評判を除かなければならぬと決意した。
「走れメロス」・・・・
未だに売れつづけ教科書にも載るほどの作品なのだろうか。
作者からして怪しい
まず作者が怪しい。作者が芥川龍之介であるというのであればなんとなくわかる。説教臭い話であることも理解できる。しかし、太宰治だ。人間失格の作者だ。
その太宰が作者であると言うのだ。素直に感動すれば良い話とは思えない。
よく読むとおかしな話
よく読んでみるとこれはかなりおかしな話である。
メロスは邪智暴虐の王を除かねばならぬと決心するのであるが、王が邪智暴虐であるということは道行く老爺に聞いただけである。町が以前より静かなことと老爺の言ですっかりメロスは王が悪人だと決めつける。
ちょっと性急すぎやしないか。
王の邪智暴虐ぶりの確認
ちゃんと、王の邪智暴虐ぶりを確認しよう。
老爺の話から、王が殺したのは、次の2タイプに分けられる。
1.自分の身辺の者
妹婿、自身の世嗣、妹、妹の子、皇后、賢臣
2.少しく派手な暮しをしている者
少しく派手な暮しをしている者で人質ひとりずつ差し出すことを拒んだ者。まあこれは、そういうものだろう。王制の時代にこの程度の制約は取り立てて酷いとは思えない。差し出せば何もされないのだから。
では、1も2も、どちらも一般市民ではないことに留意して欲しい。
少なくとも老爺の話からは、市民が王のせいで殺されることは無いということを。
では、1を詳しく見ていく。
自分の身辺の者について詳しく
王制をとる以上、身辺の者が王位を狙うことは避けられないのではないか。
王が自分の身辺が自分を裏切り自分の地位を奪うのではと考えるのは当然だと思う。
そのようなことを考えなくても良い王というのは長い人類の歴史の中でほとんどいなかっただろう。
傀儡や先王の治世が余ほどしっかりしていた場合を除き
王は自分の地位を脅かす者に常に目を光らせなければならない。
それは人が人を支配する構造を考えれば決して誤った振る舞いとは言えない。
誤解なきようお願いしたいのは、珍しいことではないと言うだけで誉めるべき話だとはいってないことである。
人として仕方のないことだとというだけである。
殺した順を見ても、本当に王座を狙いそうな者から順に並んでいる。
妹婿:
非常にありがち。
血縁がなく婚姻により結びついている者は非常に疑われやすい。
婚姻関係のある身内の裏切りは、昔だけの話ではない。
現在に至っても、会社を娘婿に取られたの何のと言う話は別に珍しくない。
自身の世嗣:
言うまでもなく、後継ぎもありがちだ。
武田信玄は親を排除して主になった。
妹と妹の子:
兄弟もまたありすぎるほどありがちなパターン。
壬申の乱も兄弟の権力争いだ。
その子も母を殺されたのであるから復讐される懸念あり。
皇后:
妻も危ない。
北条政子など、北条という旧姓がついたまま後世に伝わっている。
賢臣:
これも曲者。
野心家であればあるほど一定の権勢掌握に至るまでは従順で能吏であったりする。
明智光秀はまさにこのケースで織田信長を倒してしまった。
ああ、残念ながらどれも本当に王位を狙っていたかもしれない者達ばかりだ。