時々のこと

子どものサッカーについて。小学校から遂に高校までたどり着きました。その他時々のこととか。

走れメロス~おかしな行動をする奴


メロスが英雄、正義漢とは言えないおかしな人物なのだということは、本当にいろいろなところに記述されている。

単純すぎるメロス

例えば、
  「メロスには政治がわからぬ」
という記述がある。分からないなら、よく考えて行動しないと。分からないと明言しながら、王のことをディスるって単純すぎる。理由があって殺しているのかもしれないし、この小説の記載の限りでは、そもそも民衆に何かをしたという噂はメロスの耳には入っていないはず。自分に近い人間に謀反の疑いが有って殺したとも考えられるのに。そもそも王の非道について語った老人の思惑を怪しむことも必要なのだが、メロスは政治がわからぬと豪語する人間だからそれもできない。メロスは単純すぎる罪がある。

人を殺すイコール悪

確かに現在には死刑廃止論というものがある。しかし、少なくとも近世以前においてはそのような考えはほとんど無かったのではないだろうか。現代においても、日本を含め多くの国で法により死に値する罪が定められている。メロスは王の命令による処刑を非難しているが、そこで殺された側の身が潔白なのか否かには全く興味を示していない。そう言う発想ができないのだ。ひどい話である。
人の行動には背景があるということを全く分かっていない。
「メロスには政治がわからぬ」という記述はそういうことを言っている。

時間感覚のおかしいメロス

また、メロスは妹の結婚式が間近だから御馳走等を買いに市にやってきたはずなのに、いざ、メロスが婿に結婚を明日にしてくれと頼んだら、先方に、「葡萄の季節まで待ってくれ」と言われている。「季節」レベルで待ってというのだから、3日や10日待ってくれという話ではない、「季節」単位で待ってくれと言われているのだ。最低でも1月は待てというのだろう。これはおかしい。メロスが買いに行った御馳走と言うのはそんなに日持ちするものなのだろうか。

王の行為を理解していないメロス

さらに、「民の忠誠をさえ疑っておられる」とメロスに言わせている
しかし王は民には直接手を出していない。また、政治が乱れると市内の治安が悪化したりするものであるが、それも老爺は触れていないので、治安は良いのだろう。つまり王は、身内及び臣下に対し引き締めを行っているだけで、民に対しては何もしていない。王政としてはそれほど悪くはないであろう。確かに以前は「夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった」が今は「市全体が、やけに寂しい」という。しかし、これだけで治世が悪いとは言えないと思う。徳川吉宗の政治手法は質素倹約であった。暴れん坊将軍と呼ばれたりして今に至るも名将軍の地位を得ている。この敵役として出されるのが、尾張様と呼ばれた徳川宗春である。宗治は、尾張において、吉宗の裏を張った政治、つまり歌舞音曲、消費の奨励を行った。さあ、あなたはどちらが良い殿さまと思いますか。もちろん、殿さま及び王の治世は経済政策だけでなく、民心、外交、国内秩序の維持ほか多くの側面を持つ。しかし、単純に経済政策だけを見ると、宗春が一概に悪いとは言えない。景気の力強い上昇には消費が無くてはならない。皆が質素倹約に走ると、経済の潤滑油役のお金がタンスにしまわれることになる。お金が回らないからますます経済がたちいかなくなる。宗治は消費を奨励することで経済の活性化を狙ったのだ。質素倹約では育たない文化も育つ。
さて、ここでメロスの時代に戻ろう。
現在の市の様子である「夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった」というのは、消費・娯楽を謳歌して経済を活性化する宗春的政治が進められていたのではないだろうか。
そして、以前の市の様子である、「市全体が、やけに寂しい」というのは質素倹約を旨とし、必要でないものの支出を抑える吉宗的政治の結果であると言えないか。
吉宗を良い為政者と言うのであれば、現在の王も良い王さまではなかろうか。
であるのにメロスはこの状況を邪智暴虐の王への恐怖故であると思っている。
ここで再び「メロスには政治がわからぬ」という記述を思い出して欲しい。
メロスは、自分の世界でしかものが見えない。
そしてその自分の世界も非常に狭くかつ浅いもののように思える。
そもそも人間関係の複雑さを理解できていない。

自己と他人の区別のつかないメロス

加えて、メロス自身が、他人というのは自分と異なる人格を有する独立した対象であることを理解できていない。 妹の婚約者の家に行って「結婚式は明日にして欲しい」というのは異常だ。
また、王に対し家に戻る際の人質に勝手に親友の名を出すのは正気の沙汰ではない。親友の身になって考えてみたら、自分の気まぐれで、ここで殺されて見せる威張っておきながら、ただし野暮用があるのでそれを処理するまでは、人質を出すから待ってくれ。約束の時間までに戻らなければ人質を殺して良いから。というのはあまりに酷い。このやりとりを人質である友人の知らないところで行っているのであるから。友人もメロスと離れて暮らして長いようだから、今はメロスの知らない生活があるであろう。昔ならともかく今は、少しでも殺される可能性のあることは受け入れられない環境に置かれているかもしれない。しかしメロスはお構い無しだ。自分は絶対戻ってくるのだから、友人が殺されることは100%ないと思っている。途中で怪我をしたり、王の手のものによる意図的妨害により達成できなくなる可能性があることは全く考えていない。自分にやる気があれば何でもできるというような発想のおかしさに気づかない。
「メロスには政治がわからぬ」という記述はこういう意味でもある。

口の割に意思軟弱なメロス

さらにメロスが強い意思を持つ者ではないことを示す例がある。
(王城での会話)最初は挑発的ため口である。しかし、妹の結婚式のため3日間の猶予を依頼するあたりから丁寧語になる。そして王城でのメロスの最後のセリフは、「なに、何をおっしゃる」という敬語(まあ、これは形式的には「尊敬語」だが、意味的には違うとも言えるけれど)。

メロスに妹がいなかったら

そもそも、メロスに結婚を控えた妹がいなかった場合どのようなことになるか考えてみよう。
単に、王の前にしゃしゃりでてきた愚かな民として、あっさり処刑されていたのではないか。
本人は死ぬ気で来ているのだし。
いや、そうではないかもしれない。それは何もメロスが偉大だからではない。それは、王が立派の人間だからだ。王は未だ民を意味無く手にかけたことはないようだ。ならばメロスに対しても処刑をためらうかも知れない。
そう考えると話の中で、メロスの話に乗ってやってありえない賭けに付き合ってやったのも王のやさしさからかもしれない。
老爺がいうには自分の妻や息子の心をを疑い無慈悲に殺す男であれば、本人の許可なく友人を人質にして妹の結婚式を挙げてやりたいから猶予をくれなんていうインチキ臭い話に普通は乗らない。あっさりその場で処刑しておしまいである。

王は心の優しい人仮説

「王は心のやさしい人である」と言う仮説はどうだろう。「メロスは単純な男であった」という記述と、これまで挙げたメロスの行動の非常識さから、逆転の発想としてこの仮説を考えてみる。

単純なメロス

まず、「単純な男」でいう「単純」とは、「独善的」ということではないだろうか。
つまり自分の知っている範囲でしか考えず、自分以外の考え方があることに思いもよらない単純思考の頭。

大体、雨中走り出した際、こんなことを言う。
「身代わりの友を救う為に走るのだ」・・・・てあんた、自分で勝手に危機的事態を生み出し、更に勝手に友人を人質にしてしまい、それで「救う」もなにもないでしょう。
メロスがこのような馬鹿な真似をしなければ、この友は人質にさえならずに済んだのだから。
まあ、(3日で戻るための保証として)友人の名を本人の許可を得ずに勝手に挙げ、
「三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ。そうして下さい」とあっさり言えてしまう人格だからねえ・・・・。

極めつけは、

「わたしは生まれた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせてくだ さい。」

というセリフ。

これは、正直というより単に感情で生きているというのではないか。確かに考えが足りず独善的な思考しかできない人間が自分に正直に生きているとは思うが、それはほめられたことであろうか。

王の悲しみの理解力

人としての成熟を伴った正直さではない。

「笛を吹き、羊と遊んで暮らして来た」牧人のメロス・・・・彼にはやはり王の深い悲しみは理解できない。

メロスが悪いのではない。
王とは生きる世界が違うのだ。

国民のために生きる王

王は、国民のために生きているのだ。
正義のためには命なぞほしくないなんて言ってはならない身なのだ。
王が変な正義を貫いた結果、他国に侵略され、国民が全て他国の奴隷になってしまうことなどあってはならないのだ。その意味で、メロスは王を理解することはできない。